対峙すればするほど深みにはまるのがベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏群。
どんな四重奏団の演奏でも相応の感動が喚起され、その感動は魂にまで届く。
悟りの境地に至る過程には、根源を捉えることがある。根源を捉えるには見性体験と理(ことわり)の理解が必須だが、ベートーヴェンの件の作品が終生飽きさせないのはまさに音楽が世界の根源とつながっているだろうからだ。
1826年3月28日の楽譜出版社ショット宛の書簡。
「本日、当地のプロイセン大使を通じて、(プロイセン)国王陛下が、シンフォニーニ短調 合唱付を陛下に献呈することを裁可されました。したがってもうタイトル・ページを考え、その他、王室の紋章の形などを熟考されるよう・・・」
「パリ(シュレサンジェ)には私はもしかしたら新しい弦楽四重奏曲(Op.131)を与えられるかもしれません、報酬について私は確かなことが書けないのですが、・・・いまは、私が弦楽四重奏曲に60ドゥカーテンを要求した書簡に私はまだ返答をいただいていない?! 実際、実に大きな競争が報酬をもっと高く定めることになります。したがって私は次のように言うしかなく、すなわち私はいまそうした四重奏曲で少なくとも80ドゥカーテンをいただきます」
そして、この書簡にまつわる著者の注釈には次のようにある。
晩年の弦楽四重奏曲群に対する高い需要と各社間のその争奪戦を証言
ここでシュレサンジェに与えるかもしれないとしたOp.131は最終的にショットが獲得
~大崎滋生著「ベートーヴェン 完全詳細年譜」(春秋社)P503
ベートーヴェンは「売れる!」と、少なくとも出版商たちがわかっていたという事実が興味深い。200年の時を経た今もベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏曲群は不滅だ。まして録音から70年を経たモノーラル録音が、何と瑞々しく、そして意味深く響くことか。
作品130も作品131も人類の至宝。
人間離れしたベートーヴェンの創造性が飛翔した渾身の、屈指の音楽作品である。
ハンガリー弦楽四重奏団の演奏は極めてオーソドックスに聴こえる。しかし、そこには確実に芯があり、心がある。ベートーヴェンの音楽に心酔し、各々が相応の技術を以って作品に向き合う真摯な内容に言葉を失うのだ。
何度繰り返し聴いたことか!
今になってようやくその意味が、その内容がつかめてきたように思う。