アルゲリッチ シューマン クライスレリアーナほか(1983.4録音)

1983年4月22日、マルタは自分のキャリアで最後となるソロ・アルバムをミュンヘン(またしてもミュンヘンだ。どうやらここは彼女の“告別”の街らしい)で録音した。収録曲はシューマンの《クライスレリアーナ》と《子供の情景》。それで全部おしまいとなった。彼女は41歳で、リサイタルでの緊張を強いられるのはもう勘弁してほしいと思っていた。「ピアノを弾く機械にはなりたくないのです」と、1986年にアルゼンチンのラ・ナシオン紙で宣言した。
オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P210

明朗快活なフロレスタンは動的性質を表し、思索的かつ内省的なオイゼビウスは静的性質を示すそうだ。両者ともロベルト・シューマンの対立的な動静二面を表すもの。
シューマンの音楽はときに分裂的だ。しかし、2つの対立する概念が一つに調和している場合、それらは屈指の名作として僕たちの眼前に姿を現わす。何にせよそれは演奏者の力量に左右される。

マルタ・アルゲリッチのクライスレリアーナ作品16を聴いた。
これ以上ない、とても人間業とは思えない、他を冠絶する一世一代の名演奏だ。
急—緩—急—緩—急・・・という構成は文字通りフロレスタンとオイゼビウスの顕現。シューマンの二面性を、同時に結婚前のクララ・ヴィークへのただならぬ愛と慈しみに溢れる音楽に言葉がない。

1810年に「一般音楽新聞」(Allgemeine musikalische Zeitung)に寄稿したベートーヴェンの交響曲第5番についてのやや長い評論は、音楽におけるロマン主義の高らかな宣言—もっともロマン的な芸術は音楽であり、なかんずく器楽であるという主張—を掲げることになる。のちに、この文章を組みいれて「クライスレリアーナ」(Kreisleriana)というタイトルのもとにまとめた音楽論集は、後世のシューマンやヴァーグナーにまで影響をおよぼした。
長野順子「オペラのイコノロジー6 ホフマン物語」(ありな書房)P14

「幻想文学」というジャンルを期せずして生み出したエルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann, 1776-1822)の博識、広い興味、そして何でもできてしまう天才肌の、一人の男に当時世間は飲み込まれていた。

これは「楽長ヨハネス・クライスラー」の気まぐれな音楽譚というかたちをとった二部からなる短編群で、ぐるぐると「円環=クライス」(Kreis)を描いてきりきり舞いするような狂熱的な音楽家「クライスラー」は、どこか作家の分身のようでもある。この架空の人物は、晩年の小説「牡猫ムルの人生観」(1820)でも主人公ムルと並んで重要な役割を果たしている。バンベルク時代に「一般音楽新聞」に掲載されたものには、18世紀の作曲家グルックの亡霊との遭遇を語った「騎士グルック」(1809)や、モーツァルトのオペラ《ドン・ジョヴァンニ》上演を題材にとった「ドン・ファン」(1812)などの音楽小説もあり、「クライスレリアーナ」とともに「カロ風幻想作品集」全4巻の第1巻を形成することになる。戦争が終結した1814年にベルリンで公職に戻って2年後に大審院判事となったころには、すでにこれらの作品やゴシック小説「悪魔の霊液」(Die Elixiere des Teufels)の作家として。E. T. A. ホフマンの名前は知られていた。
~同上書P15-16

中でも「クライスレリアーナ」のエキセントリックさはほとんど怪奇的と言っても良いもので、シューマンはおそらくそこにシンパシーを感じたのだろう、それに触発されてこの曲を創造したが、しかしそれはむしろ独立的な、いかにも若きロベルト・シューマンの気概に溢れる傑作だ。

シューマン:
・子供の情景作品15
・クライスレリアーナ作品16
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)(1983.4録音)

録音から早40年。音楽家人生の絶頂にあったマルタ・アルゲリッチの渾身のピアノが、時に激しく、時に静かに、シューマンの傑作を見事に紡ぐ。
「子供の情景」は、第1曲「見知らぬ国と人々について」から別次元。心が騒ぐ、もとい、心が安らぐ(第7曲「トロイメライ」のあまりの美しさ!)。

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