バーンスタイン指揮ウィーン・フィル ハイドン 交響曲第92番「オックスフォード」(1984.2Live)ほか

オックスフォードのシェルドニアン劇場では、博士号授与式に前後して3日間にわたって「音楽の集い」が行われた。バーニーと連れ立って7月6日に当地にやってきたハイドンは、初日の演奏会こそリハーサルに間に合わなかったためオルガン演奏での出演のみだったが、翌日は《交響曲第92番》を自ら指揮し、集った聴衆から熱い喝采を浴びたのだった。この年のシーズンにロンドンで幾度も演奏会のプログラムを飾った交響曲だったが、このときの演奏がきっかけとなって、その後「オックスフォード」のあだ名で親しまれるようになってゆく。
池上健一郎著「作曲家◎人と作品 ハイドン」(音楽之友社)P109-110

ハイドンの交響曲は、堅牢な構成の中に、常に自由闊達な精神が溢れていて、旋律に富み、リズムが弾み、幾度聴いても飽きがこない、しかも親しみやすい「新しさ」があるのが特長だ。当時の聴衆はハイドンの新作に皆欣喜雀躍した。

ヨーゼフ・ハイドンが後にゲオルク・アウグスト・グリージンガーとの対話の中で次のように語っている点が興味深い。

芸術とは自由なものですよ。手仕事的な枷をはめてしまってはね。耳が決めなければなりません。もちろん、素養のある三身ですがね。他の誰かだってそうですが、わたしもそれに規則を与える権利があると思っています。そういった人為(対位法の諸規則のこと)には価値などありませんよ。そんなことよりも、誰かが本当の意味で新しいメヌエットを作曲しようとはしてくれないものですかね。
~同上書P119-120

ルールはルールとして大事だが、決して縛られてはならぬというのである。「守破離」の精神の重要性を巨匠は問うのだと思う。

重厚なる「オックスフォード」交響曲。
レナード・バーンスタインの、相変わらずの浪漫的解釈が一層音楽に重みを与える。

ハイドン:
・交響曲第88番ト長調Hob.I:88(1787)(1983.11Live)
・交響曲第92番ト長調Hob.I:92「オックスフォード」(1789)(1984.2Live)
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

第1楽章はハイドンの定石たる意味深な(そしてバーンスタインによって思いの込められた)序奏アダージョから主部アレグロでの溌剌たる展開に心が動く。ソナタ形式の完成形ともいえる最高の形がここにある。あるいは、第2楽章アダージョの、ベートーヴェンがおそらく参考にしたであろう清新な心地良さ。そして、第3楽章メヌエットは、さすがにバーンスタインの棒は重い。ただし、終楽章プレストは堂々たる風趣を醸し、バーンスタイン節が生きている。

ところで、ハイドンは、1790年までエステルハージ家に仕えていた身だ。要はそれまではサラリーマンだったのである(最後の方の年俸は、今の価値にして2千万円ほどあったのではないだろうか)。つまり、「オックスフォード」交響曲はサラリーマン時代の最後の作品群の一つということだ。晴れて自由の身となった(独立した)その後のザロモン・セットなどと比較しても遜色のない出来は、いよいよハイドンの芸術が真の自由を獲得し、常に革新を施そうとしていたことの証だと思う。

過去記事(2016年5月31日)

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