モントゥー指揮ボストン響 ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」(1951.1.28録音)

長らくディアギレフの側近を務めたセルゲイ・グリゴリエフによるバレエ・リュスの真実。
史上稀なるスキャンダルを引き起こした「春の祭典」の初演にまつわるドキュメント。幾度も紹介する記事ではあるが、この生々しい記録はたくさんの人たちに読んでいただきたいものなので再掲する。

1週間後の5月29日、ついに「春の祭典」が初演された。前述の通りこのバレエはカルサーヴィナ、ニジンスキー、ボリムというわれわれの“スター”が一人も出演せず、ほぼ“群舞”だけで成り立っている。そのためディアギレフは他の演目を「レ・シルフィード」「薔薇の精」「ポロヴェッツ人の踊り」として、スターたちが当たり役で登場できる作品を組み入れ、公演全体が成功となるように工夫した。彼はストラヴィンスキーの音楽への客席の反応を不安視し、曲を批判するデモが起こるかもしれないとわれわれに警告した。そしてダンサーたちに、その場合は冷静に踊り続けるように、モントゥーには決して演奏をやめないように求めた。「何が起ころうと、この作品を最後まで上演しなくてはならない」と彼は言った。
セルゲイ・グリゴリエフ著/薄井憲二監訳/森瑠依子ほか訳「ディアギレフ・バレエ年代記1909-1929」(平凡社)P89

世紀の瞬間を目前にして、もしもディアギレフが怖れをなし、上演を中止していたら「春の祭典」は永遠に葬られていたのかもしれない。まして、指揮者もオーケストラも、もちろん踊り手も動きを止めることなく淡々と舞台をこなしていたというのだからすごい。

彼の不安には十分な根拠があった。われわれは「レ・シルフィード」で公演を始めた。そして最初の休憩が終わり、「春の祭典」の幕が上がってからの数分後には、観客席の一角から怒鳴り声が響き、他の席からは静かにするように求める大きな声が続いた。騒ぎはやがて耳をつんざくほどの騒音になり、音楽がほとんど一音も聞こえないままダンサーたちは踊り続け、オーケストラも演奏を続けた。そして怒鳴り声は演奏が続いている場面転換の間もやまず、とうとう一部の観客の間で殴り合いが始まった。そこまでいってもモントゥーは演奏をやめようとはしなかった。われわれと一緒に舞台上にいたディアギレフ、そしてストラヴィンスキーもものすごく興奮していた。
~同上書P89-90

実にリアルな当日の描写に読んでいて興奮を覚えるくらい。観客に易々とは受け容れられないであろうとわかっていて挑戦する創造者たちの冒険心の美しさ。
興味深いのは、あくまで当事者ではないといわんばりに静観する踊り手たちの存在だ。

一方、ダンサーたちはまったく冷静で、この前例のない舞台を面白がってすらいるようだった。ニジンスキーはといえば、舞台袖に静かに立っていた。彼はこの騒ぎが自分の振付よりもむしろ音楽に向けられた抗議であることに気づいていたが、自作がまたしても騒動の的になったことに動揺していた。ディアギレフは観客を鎮めるために思いつくことはなんでも行い、幕間に観客席の証明を可能な限り長く点けたままにしたので、呼ばれた警官たちが最も悪質な数名の妨害者を特定してつまみ出した。しかし証明が暗くなって第2場が始まると、また大騒ぎが繰り返され、バレエが終わるまで続いた。
~同上書P90

初演者ピエール・モントゥーの録音した「春の祭典」は数種ある。パリ音楽院管弦楽団とのステレオ録音は残念ながらオーケストラの威力が今一つで、隔靴掻痒の思いが拭い去れない。しかし、より激しい音楽が展開され、オーケストラの音色も迫力も僕が一層打ちのめされるのはボストン交響楽団とのモノラル録音だ。

・ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13)
ピエール・モントゥー指揮ボストン交響楽団(1951.1.28録音)

第1部「大地への讃仰」導入から原初の様子がファゴットによって神秘的に奏でられ、演奏の素晴らしさを予見する。「春の兆しと乙女たちの踊り」の弦のトゥッティによる荒れ狂うリズムが何とアグレッシブで、真に迫ることか。この後音楽は高揚し、あっという間に第2部「生贄の祭り」に移り変わっていく。ここではもはや初演当時の大喧騒が再現されるかのような凄まじさを醸し、頂点たる最後の「生贄の踊り、選ばれた乙女」の生々しさと圧倒的音響にひれ伏してしまう。モントゥーの最大の遺産の一つだろう。

過去記事/「春の祭典」100周年~バーンスタイン最初の録音(2013年5月29日)

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