ワルター指揮コロンビア響 シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」(1959.1&2録音)

時には眼差しを後ろ向きに投げることもあったが、現実の世界はワルターを前に押し進め、若い世代が彼の教えを仰いできた。1958年2月、彼は頭角を現してきたアメリカ人ピアニスト、ヴァン・クライバーン(当時まだ23歳)の接触を既に受けていた。彼はこの年にモスクワのチャイコフスキー・コンクールで優勝して、世界的に有名になる。ワルターはクライバーンの英雄の一人だったが、彼がこの音楽界の長老にひかれたのには、その演奏の力だけではなく、哲学的な関心もあった。実はクライバーンは人智学に強い興味があり、これを公にすべきかどうか、ワルターの助言を求めたのである。(ワルターはいかにも彼らしく、公にはしないようにと言った。)彼はまたブラームスのピアノ協奏曲第2番をワルターと学びたいといい、ワルターも喜んで受け入れた。個人レッスンの後、クライバーンは「貴重な時間を賜わったお返しに小切手を送ったが、ワルターはいかなる「金銭的つながり」も断るとして、返送した。翌年クライバーンはこの曲をワルターと是非録音したいと望んだが、契約上の制約のため—クライバーンの録音契約はRCAビクターとで、コロンビア・レコードではなかった—この案は惜しくも現実とはならなかった。しかし1960年に二人は遂にこの協奏曲で共演した。それはまさにワルターが人前で行った最後のコンサートだった。
エリック・ライディング/レベッカ・ペチェフスキー/高橋宣也訳「ブルーノ・ワルター―音楽に楽園を見た人」(音楽之友社)P549

ヴァン・クライバーンはフリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団をバックにブラームスの録音を残している。重厚でありながら抜群のテクニックに裏打ちされた颯爽たる名演奏に違いないが、やはりブルーノ・ワルターとの一世一代の録音が残されていればと残念でならない。ピアニストからは大いなる尊敬の念が、そして指揮者からは弱冠20歳を越えた若者にも全力でサポートしようとする慈愛の思念が両者に通じており、間違いなく屈指の名演奏になったであろうからだ(ワルター最後のコンサートでのクライバーンとのライヴ録音でも残されていたら凄いことなのだが)。

ワルターのコンサートへの登場は1958年には既に少なく、1959年にはわずか3つの機会に限られた。3月5日と6日、彼はロサンゼルス・フィルを指揮してメンデルスゾーンの《夏の夜の夢》序曲、ハイドンの交響曲第88番、シューベルトの交響曲第9番《ザ・グレート》を演奏した。ゴールドバーグはこのシューベルトについて、「歌ごころがこの指揮者の解釈の鍵であり、クライマックスすらも抒情的に扱われた」と書いた。この演奏は、ワルターがコロンビア交響楽団と録音したばかりのゆったりとした運びのものとほぼ同じだったと思われる。
~同上書P549-550

40余年前、はじめて聴いたとき、確かに僕の印象はゴールドバーグの評の通り、いかにも女性的で抒情的な演奏だった。しかし、久しぶりに聴いてみて、決して抒情ばかりではない、最晩年のワルターの激烈な、熱い精神が投影された、実に雄渾で刺激的な側面も大いに持っている演奏だと思った(人の感性など当てにはならないもの)。

・シューベルト:交響曲第9番ハ長調D944「ザ・グレート」
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団(1959.1.31 &2.2, 4, 6録音)

何といっても生命力漲る第1楽章アンダンテ—アレグロ・マ・ノン・トロッポが素晴らしい。また、第2楽章アンダンテ・コン・モートに横溢する喜びの歌(これぞ歌ごころ!)。見通しの良いオーケストラの音響の内に垣間見るワルターの情愛の念。そして、深遠なる第3楽章スケルツォを経て終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの永遠に終わりがない輪舞にワルターの音楽の使徒としての志の高さを思う。

過去記事(2022年12月14日)

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