ディッタの回想。
あの人は子ども時代を過ごしたことがないのよ。私たちに与えられるような子ども時代をね。その時期にはお母さんだけが見えていたのです。高く、強靭で、その人がその背後に隠れられる柱のように、自分のひどく恐れていた外界から守ってくれていたのです。お母さん自身が家庭で字の手ほどき、楽譜の手ほどきをしたんです。あの人の健康を、看病の末にとりもどした後も長年の間、お母さんは教師でもありました。お母さんを喜ばせたいという願望は、当時からこれまでの生涯にわたって、あの人のもっとも強い情熱のひとつとなって残りました。この不幸な人生のはじまりが、あの人に与えた影響を本当に判って下さるかしら。ほんの少しでもあの人を知ろうとするなら、すべてを知らねばならないのです。あまり重要でないような細かいことをたくさんあなたにお話しするのは、そのためなんです。
~アガサ・ファセット/野水瑞穂訳「バルトーク晩年の悲劇」(みすず書房)P141
ベラ・バルトークの内なる正義は母親譲りなのかもしれない。ただならぬ知性の源もそこに始まるのかもしれない。彼にとって母親は絶対だったと見える。
稀な天分をすでに広く認められたピアニスト・バルトーク。無関心、敵意、あるいは自国の人びとによる正鵠を得ない嘲笑と戦いつつ、彼は理解を得るため自ら戦場に赴いたが、求めるものはあまりにも長いことやって来はしないようであった。そして自分の世界に更に奥深く分け入っていくことに喜びと満足とを見出すのである。
~同上書P143
作曲家ベラ・バルトークはもちろん唯一無二の存在だ。一方、ピアニスト、ベラ・バルトークも後にも先にもない慈悲深い、それでいて知的な演奏を披露した存在だった。
ヨーゼフ・シゲティとのドビュッシーのソナタが素晴らしい。1940年は、ワシントンDC.国会図書館でのライヴ録音。
・ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ(1916-17)(1940.4.13Live)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ベラ・バルトーク(ピアノ)
大人になった(?)バルトークの演奏は、シゲティのヴァイオリンを包み込む、どちらかというと強靭な、母性の塊のようなものだ。揺らめくドビュッシーの音楽が、これほど強力に、そして地に足の着いた形で表現され得るのはバルトークの伴奏あってのことでなかろうか。
もちろんシゲティのヴァイオリンも美しい。ドビュッシーのニュアンスを手に取るように微細に描く技量はシゲティならでは。色気のない古い録音であるがゆえの芳香に不思議に懐かしさを覚える。襟を正して、真正面から聴いてみるが良い。
今年はヨーゼフ・シゲティ没後50年の年。そして、今日は131回目の生誕日。