ラハナー宅でこの曲の試演を行なったシュパンツィヒが、シューベルトに向かって「この曲はだめだね、君はリートに専念したまえ」と言ったのでシューベルトは楽譜を机の中にしまいこんでしまった。
~「作曲家別 名曲解説 ライブラリー17 シューベルト」(音楽之友社)P98
このエピソードの真偽は定かではない。
何にせよ高尚で、厳しい内容であり、シュパンツィヒが大衆には受け入れられないと思ったのだとしたら、それはその通りだろう。しかしながら、音楽は永遠だ。第2楽章アンダンテ・コン・モートに自作の歌曲「死と乙女」の主題を引用していることから、どうしても死を想起する、暗澹とした音調を想像しがちだが、実際はさにあらず。抒情に溢れる第2楽章の変奏は、いつまでも浸っていたいくらい美しく、心を揺さぶられる。
当時あらえびすが推したのは、カペー弦楽四重奏団のものとブッシュ弦楽四重奏団のものだった。一世紀近い前の録音にもかかわらず、確かに音楽的ニュアンス豊かで気高い演奏であり、冒頭から思わず惹き込まれてしまう(何という情感!)。
リュシアン・カペーが1928年12月18日に急逝したため、残された録音は、(同年6月と10月に吹き込まれた)わずかに12曲。ほとんど1テイク、あるいは2テイクでの録音だそうで、実演のような疵も散見されるが、それがまたリアルかつ生命力を喚起し、音楽の永遠を刻印する。
私は、「まだ時間があるだろうか?」と自問しただけではなくて、「今でも私にそれができるだろうか?」とみずからに問うた。なるほど病気は社交界をあきらめさせて、きびしい聴罪司祭のように大いに私に尽くしてくれた。なぜなら「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん、もし死なば、多くの果を結ぶべし」であるからだ。また、怠け心は安易に筆が流れるのを防いでくれたが、それに続く病気はその怠け心から私を守ってくれることになるだろう。けれども病気はこれまでに私の力をすりへらしてしまったばかりか、ずっと前から、とりわけアルベルチーヌを愛することをやめたときから気づいていたように、記憶力をもすりへらしてしまった。
~マルセル・プルースト/鈴木道彦編訳「抄訳版 失われた時を求めてIII」(集英社文庫)P437
新約聖書「ヨハネ伝」からの一句を挙げての思念は、好生の德の体現であろう。
それはまさに55歳で急逝したリュシアン・カペーによって残された言葉のようにも思えなくない。
※過去記事(2022年1月11日)
※過去記事(2019年6月5日)
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