アラン・フランシス指揮バーゼル放送響 ミヨー 交響曲第2番(1997.6録音)

革新という言葉は嫌いです。先人のあとを論理的に継続的に、革命的にではなく更新発展の精神によって追求したという精神をいつも持っていました。
ダリウス・ミヨー/別宮貞雄訳「幸福だった私の一生」(音楽之友社)

ダリウス・ミヨーの作品の僕の印象は、死者をも目を覚まさせるほどの喧騒。
しかしそれは、同じような喧騒を持つパウル・ヒンデミットのそれとは異質だ。

南仏らしい大らかさというのか、あるいはフランスっぽい洗練と表現するのか、少なくともヒンデミットの暗澹な調べに対して明朗な音調を伴なうのが印象的だ。

生涯に400曲以上もの作品を残した彼だが、交響曲の創作については50歳代になってからだ。以後、20年間に12曲の交響曲を残しているが、そのすべてが頻繁に舞台にかけられるということはない。

死の影の漂う、第二次大戦中に書かれた交響曲第2番の明るい音調の下に垣間見える喪失の哀感よ。

・ミヨー:交響曲第2番作品247(1944)
アラン・フランシス指揮バーゼル放送交響楽団(1997.6.17-21録音)

バーゼルはフォルクスハウスでの録音。

ここには悲惨さはむしろない。
第1楽章穏やかに、第2楽章神秘的に、そして第3楽章悲痛に、第4楽章泰然と、終楽章アレルヤと続く。表情を表す記号が無意味に思えるほど実に喜び(?)に満ちた音楽がすべてを包み込むようだ。ただし、音楽の素晴らしさを一層堪能できるのは、個人的には第3楽章以降の解放感だろうか。死にまつわる浄化とも昇華とも考えられる、戦争末期の作曲者の思念が投影される名作だと思う。

ミヨーは長年リウマチに苦しんだ。
自身の内なる病魔との闘いを通して死というものを常に意識せざるを得なかったのだろうと思う。彼の音楽はその裏返しでもある。


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