
ベルリン・フィルに客演しての交響曲第8番もかなりの熱演だけれど、彼がPentaToneレーベルに録音した同曲は、音質の良さも相まって、阿鼻叫喚、魑魅魍魎、ショスタコーヴィチの「真意」が極め尽くされただろう(?)名演奏であり、今の僕の愛聴盤である。
アラム・ハチャトゥリアンの証言。
ショスタコーヴィチは、アップライトピアノを置くのがせいいっぱいの小さな物置で創作していました。面白いのは、彼が《交響曲第8番》のスコアを完成するまで、誰も彼の「書斎」からピアノの音を聞いてないことです。ショスタコーヴィチは壁にとりつけられたカウンターに向かって、ピアノにはほとんど触れずに書きあげたのです。
~ミハイル・アールドフ編/田中泰子・監修「カスチョールの会」訳「わが父ショスタコーヴィチ 初めて語られる大作曲家の素顔」(音楽之友社)P29
先にショスタコーヴィチの「真意」と僕は書いたが、真意などというものは果たして本人でない限りわかるはずはない(だからそれは勝手な想像だ)。ましてや二枚舌といわれた作曲家の、公の発言などは当てにはならないだろう。ならばハチャトゥリアンが言うように、ショスタコーヴィチは戦時の最中、間違いなく「頭の中」だけであの音楽を創造したのだろうと思う。驚異だ。
・ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ハ短調作品65
パーヴォ・ベルグルンド指揮ロシア・ナショナル管弦楽団(2005.6録音)
第1楽章アダージョの重み、悲しみ、苦悩、また、第2楽章アレグレットの精神の抗いが素晴らしい。しかし、一層響くのは第3楽章アレグロ・ノン・トロッポの息も詰まる、切羽詰まった情景を、かくも熱を込めて表現する様!!そこからアタッカで第4楽章ラルゴ、そして終楽章アレグレットと駆け抜ける様子は、この作品を自家薬籠中のものとするベルグルンドの真骨頂。抗う心、荒れる精神が沈静し、魂の空(くう)を徐々に描く3つの楽章の安寧は、僕の心をとらえて離さない。特に終楽章の静寂へと導くコーダの潔さ、あるいは美しさ。
マクシム・ショスタコーヴィチの証言。
30年代から始まってスターリンが死ぬまで、ショスタコーヴィチは逮捕と獄死の恐怖にさらされて生きていたんです。体制への忠誠心も、天賦の才能も、それを防ぐことはできなかった。詩人オーシプ・マンデリシュタームとか舞台監督フセーヴォロド・メイルホリドの運命なども、父と同様にわかりやすい一例でしょう。
~同上書P68
世界に翻弄された天才の、それでも創造力をたぎらせて(?)果敢に挑戦した天才の心象風景の見事な再現。すべてが実に生々しい。