スカルラッティの調構造は堅牢なので、主題的素材の配分が一見無造作なものであっても許される。ひとつの楽章全体がある魅惑的な開始部の主題に基づいているように見えることがしばしばあるが、スカルラッティはひとつの作品に素材をばらまくのと全く同様の気前のよさでそれを捨て去るのである。この素材についての気前のよさは、ひとつのスカルラッティのソナタが見物人の目前で作られつつあるかのような印象を与える。彼が実際に必要としているよりも多くの素材がほとんど常に手元にあるかのようである。
~ラルフ・カークパトリック著/原田宏司監訳・門野良典訳「ドメニコ・スカルラッティ」(音楽之友社)P274
斬新ながら自然体、否、自然体ながら斬新という方が言い方としては正しいのかも。
スコット・ロスの方法は、あくまでドメニコ・スカルラッティの意図を正面から受け止め、解釈し、音化したもののように僕には聴こえる。録音から40年近くを経ても古びない要因はそういうところにあるのだと思う。
縦横無尽の、常に進化するソナタの妙。500数十もの新たな音楽は、一聴スカルラッティのそれとわかるものでありながら、同じようなものが一つとしてない奇蹟。
夭折のキーボーディストが、自身の不意の死を予感して弾いたものでないことは確かだ。けれど、ここには生や死をも超えた、永遠の光が感じ取れるのだから面白い。もちろんそれはスカルラッティの作曲能力に拠るところが大きいのだが、それを「常に新しさを感じさせる音」にした点がロスの功績。
飽きない、幾度聴いても新たな発見がある。小さな形式の中に垣間見える無限の宇宙。
音楽に自然に身を委ねることの大切さに気づかされるひと時。何と楽観的なのだろう。何と希望に溢れているのだろう。
引き算の魔法。あるいは、足るを知る。ほとんど即興のような作り。
ドメニコ・スカルラッティの音楽が常に新鮮なのは、そこに真理があるからだ。彼のソナタのすべてを踏破するのにはまだまだ時間がかかりそうだ。
ロスのチェンバロが弾け、冴える。何という生命力!