ポーリン・オリヴェロス エレクトロニック・ワークス1965+1966ほか

お天道様が見てるよ。

和訳すればそういう意味なのだろうが、ポーリン・オリヴェロスのさる曲を聴いて、なるほど宇宙塵漂う暗黒の中にあって、一条の光を電子音楽によって表現する場合、こういう方法、「楽音」になるのかと、その革新的な響きに僕は感動した。

重要なのは、そこにコミュニティがあったことです。アーティストのコミュニティで、あなたが今名前を挙げた人全員のほか、それ以外にもいましたが、私たちは皆一緒に作業をしました。お互いをサポートし合い、そのサポートから核となるアイデアや実践が発展しました。2人として同じような人はおらず、みんな全く違っていましたが、それと同時にグループ内にはお互いを大いに尊重する雰囲気、友好関係が築かれていました。彼らと関われてとても幸せでしたし、今でも思い出すと心が温かくなります(笑)。
(ポーリン・オリヴェロス)
ハンス・ウルリッヒ・オブリスト著/篠儀直子・内山史子・西原尚訳「ミュージック―『現代音楽』をつくった作曲家たち」(フィルムアート社)P180-181

前衛アーティストたちの真意は(本人たちが意識しようがしまいが)慈しみに溢れている。
果たしてここにミクロコスモスたる命の本質を、あるいはマクロコスモスの永遠を感じ取れるかどうか、それにはセンスが必要だが、万人に理解というより感じることの可能なパフォーマンスがある。そして、電子音楽について問われたポーリンは次のように答えている。

それはとても包括的で、今日では世界全体にまで広がっています。当時、1960年代では、もっと特定の意味がありました。なぜなら、電子音響音楽は電子音を使って制作された音楽のことだったからです。ミュージック・コンクレートはそれとは別の意味を持ち、アコースティック音楽とも、もちろん別のものでした。
~同上書P185

・ポーリン・オリヴェロス:エレクトロニック・ワークス1965+1966
 I of IV (1966)
 big mother is watching you (1966)
 bye bye butterfly (1965)

現代でこそ、ようやくその存在意義がある程度理解されるに至ったその過程に、おそらくポピュラー音楽への影響があったのではないか、そんなことを僕は考えた。
例えば、ザ・ビートルズの「レボリューション9」
ザ・ビートルズの革新性、あるいは多様性を謳ったあのアルバムの中で、(ある意味)ひときわ光彩を放った異色の音楽は、まさに電子音響音楽のはしりであったろう。そして、それをきっかけに世界は一つになるきっかけをもらったようにも僕には思えるのだ。

・The Beatles (1968)

ジョン・レノンの回想。(~The Beatles アンソロジー(リットーミュージック)P307)

「レボリューション9」は知らず知らずのうちに生まれたイメージなんだ。僕は実際に、革命が起きたらこんな状況になるだろうと想像していた。その革命のイメージを描いた絵のようなものなんだ。あれはまさしく抽象画のような音のコラージュだよ。ループ、人の叫び声・・・。僕は、音を絵の具にして革命の絵を描いているという意識だった—だけど、ひとつ失敗があるんだ。それは、あの作品の立場が反革命だったってことさ。(1970年)

無意識こそ、万物創成の母とつながる最善の術。革命の絵を描こうという意識こそが前衛アーティストたちの本(もと)とつながるようだ。そしてジョンは、自身の内なるイメージを形にすべく素材を探す。

アクション・ペインティングみたいだよね。あの”number nine, number nine, number nine”というのは、エンジニアの声なんだ。テープに問題がないか確かめるための試験テープがあって、その中にThis is number nine megacycles…(これは第9メガサイクル・・・)と喋っている部分があった。その”number nine”の言い方が気に入ったので、それをループにして思いつくままに入れてみた。(1974年)

あの印象的な”number nine…”という無機質なフレーズ。それが65年も前のことであることに衝撃を受ける。

“number nine”と話す声が、メチャクチャおかしかった。やたらと”number nine”と繰り返すジョークみたいだった。ただ、それだけのことさ。あの曲には象徴的なものがたくさんあるけれど、たまたまそうなっただけなんだ。(1970年)

しかもそれはあくまで「偶然だった」とジョンは釘を刺す。

「レボリューション9」には、これまでのどの曲よりも時間をかけた。
アルバムに収録されたスロー・バージョンの「レボリューション」はすごく長かったんだ。僕はそのフェード・アウト部分を取り出して、それにいろんなものを重ねてみた。オリジナルの「レボリューション」のベーシック・リズムの上に、20種類ものテープ・ループが重ねっているんだ。素材はEMIの保管室にあったテープさ。僕は、古いテープを持って階段を上がり、そのテープを切ったり逆回転させたりして、サウンド・エフェクトを作った。
10台ぐらいあった機材にスタッフを配置し、鉛筆を使ってループを引っ掛けた—ループ・テープの長さは、数インチから1ヤード(約91センチ)までさまざまだった。すべてのテープの音量を上げて僕がリアルタイムでミキシングした。数回ミキシングするうちに気に入ったのができたんだ。その間ずっとヨーコがそばにいて、どのループを使うべきか決めてくれた。ある程度ヨーコの影響を受けた作品だったと思う。
(1980年)

ヨーコあってのジョン。彼の創造の背景が具に語られる様子に、この後まもなく逝ってしまう彼の天才がヨーコとのコラボレーションであったことが明かされている。
もはやそれは決して偶然ではなく、必然だった。

僕は、1952年6月に、4人の男がサッカーをしている絵を描いた。その時描いた背番号も9番だったけど、それはまったく偶然の一致だよ。僕は、誕生日が10月9日で、ニューキャッスル・ロード9番地に住んでいたことがある。どうも僕は9に縁があるようで、だから9にこだわってきた。それに、9は宇宙で一番大きい数字だもんね。9の次は1に戻るだろ。(1974年)

9というのは、何かと僕について回る数字なんだ(だけど、数占いでは、僕は6か3に縁があるらしい。でも、どっちも9の約数だ。(1980年)

最大数に秘められた世界の狂気。否、裏返すこと「平和」。文字通りそれは、革命という名のもとに「世界皆大歓喜」を志したジョン・レノンの遺言だったように思われてならない。

過去記事(2016年11月14日)
過去記事(2019年1月30日)


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