庄司紗矢香、インバル&都響のバルトークを聴いた

bartok_inbal_20131220ようやく舞台にかけられたバルトーク。採り上げられる予定だった2011年3月の公演は、例の震災の影響により中止になった。その時と同プログラム(歌手陣は変更になったが)。その意味で待ちに待った本日だったのだ。

音楽作品は作曲家の意思とは別に、その時代の空気さえ読み取ってしまうものだ。ベラ・バルトークのヴァイオリン協奏曲に込められた、来るべき世界への不安や恐怖、あるいは希望や祈りの象形は、実演に触れない限りわからないものだということが身に染みてわかった。

特に、庄司紗矢香の音楽は予想以上に凄かった。この華奢で可憐な女性のどこにこういったパワーが潜んでいるのかと思われるほど、凛とした姿勢がとにかく素敵。息詰まる、緊張感を伴う音楽が延々と続く。胸が締め付けられるほどの錯覚に襲われるほど。
第1楽章の、ヴァイオリンの出からして厳しくも妖艶な音色。即刻期待が高まる。バルトークの緻密に計算された楽想に得も言われぬ感覚を覚えながら、カデンツァを迎える頃にはその芯のある意志的な響きに脳みそが溶かされそうに・・・。

東京都交響楽団第763回定期演奏会Bシリーズ
2013年12月20日(金)19:00開演
サントリーホール
庄司紗矢香(ヴァイオリン)
イルディコ・コムロシ(ユディット、メゾソプラノ)
マルクス・アイヒェ(青ひげ公、バリトン)
矢部達哉(コンサートマスター)
エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団
・バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番Sz.112
アンコール~
・作曲者不詳:ハンガリーの民謡より
休憩
・バルトーク:歌劇「青ひげ公の城」作品11Sz.48

bartok_inbal_2011_3第2楽章アンダンテ・トランクィロの静謐な響きはひとときの安寧。コーダの底知れぬ静けさは嵐の前のそれを表現するのかどうなのか・・・、同時代に重なったドミトリー・ショスタコーヴィチの第4交響曲を思い出させた。フィナーレの怒涛の演奏はもはや時空を超越。
彼女は一体いくつなのか?時代と空間を飛び越え、まるで当時のバルトークの心情や、その時代のアトモスフィールを知っているのかと思わせるほどの音楽が鳴っていた。
万雷の拍手に応えて庄司はアンコールを披露する。ヴァイオリン・ソロのいかにも甘美な旋律が聴く者を恍惚とさせた。

20分の休憩後、「青ひげ公」。ワーグナー張りに「女性の純愛による救済」を想起させるも、この作品の根底に流れるものは悲哀と暗黒だ。とはいえ、そのことが強調されればされるほど、自らを犠牲にしたユディットの純愛が体感できるよう。
第5の扉(広大な領地)における金管の別動隊とオルガンを加えたクライマックスは肺腑を抉る。何と強烈な音楽・・・。
扉を進むにつれ自身の状況を把握するユディット。そして、いかにも優越感に浸る青ひげ公。第7の扉以降、消えゆく音の真っ暗な世界は、終末というより始点であるように僕は感じられた。夜は昼の序章だ。闇があってこその光ということ。

インバルの確信に満ちた音楽作りはこれ以上はないという様相を示す。
職人の腕が冴える、そんな印象・・・。
バルトークの真髄はライブにある。

 


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