クライスラー ブレッヒ指揮ベルリン国立歌劇場管(1926.12録音) ハイフェッツ  ビーチャム指揮ロイヤル・フィル(1949.6.10録音) メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲      

音楽の面白さ。
特に譜面に記された古の作品は、演奏者の読譜力と再生能力によってその外面を(もちろん内面も)大いに変化させる。解釈は個人に委ねられており、いかに聴衆に音楽を通じて感動を与えるか、そこに尽きるのだが、感動の基準は個人差あるゆえ、絶対的解答がない。だからこそ、おそらく再生に良し悪しはないものだと今の僕は思う。

評論などというものは、所詮個人の主観に過ぎない。相対の中にあるこの人間世界にあって「正しいもの」など存在しない。もちろん客観などというものもないだろう。あるのは関係の中にあって各々の主観の同意のみだ。

2月2日は奇しくも二人の世紀の大ヴァイオリニストの生誕日。
方やオーストリアはウィーン生まれのフリッツ・クライスラー(1875-1962)。もう一方は、ロシア帝国はヴィリナ生まれのヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)。クライスラーは、第二次大戦直前にアメリカに渡り、ハイフェッツはロシア革命を逃れ、アメリカに渡った。ただし、二人の天才の演奏スタイルはまったく違う。それは時代背景や環境の差などの影響はあろうが、間違いなく言えるのは、いずれの演奏も聴衆に多大な感動を与え続けたことであり、没後何十年を経た今も、録音を通して人々に与え続けているということだ。

フェリックス・メンデルスゾーンが晩年に創造した傑作ヴァイオリン協奏曲。

・メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64(1844)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
レオ・ブレッヒ指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(1926.12.9&10録音)

ほぼ100年前の録音だが、大時代的なニュアンス豊かな音楽が心を癒してくれる。
古き良き時代の浪漫は、音楽を一所に留めず、人間感情の一切を包括し、聴く者に喜びをもたらす名演奏。こういう録音が残されていることに僕たちは感謝しなければならないだろう。

・メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64(1844)
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(1949.6.10録音)

切れ味鋭い造形。ことによると、ビーチャムのリーダーシップもあるのかもしれないが、実に推進力抜群。音楽は前へ前へと勢い奏でる、自律的未来志向のメンデルスゾーン。

第1楽章 アレグロ・モルト・アパッショナート
冒頭、独奏ヴァイオリンが奏でる有名な主題に身も心もとろける。
人口に膾炙したこの名旋律を生み出しただけでもメンデルスゾーンの大いなる功績だといえるだろう。
一転、第2楽章 アンダンテの優美で静謐な音楽に僕は瞑想する。そして、アタッカで続く第3楽章 アレグレット・ノン・トロッポ ―アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェの愉悦と希望。

サマセット・モームは南太平洋の文か果てるところで、こうした文明の調和的機能から離れたために、破滅する人間の悲劇をよく描いている。野生に生きるといっても、石器時代のように生きるわけにいかない。そこには何らかの意味で「文明」が介在する。「文明」が大自然の持つ生命感を保つとき、人間は真に「魂のくつろぎ」を感じる。だからこそ、「文明」が過度になると、人間は「野生」のなかに生命感を回復したいと願うのだ。スティーヴンソンがそうであり、ゴーギャンがそうだった。
「野生と文明」
「辻邦生全集17」(新潮社)P369-370

何も足さず、何も引かず、すべては調和の中にある。聴き継がれる傑作も自然(天意)と文明(平均律、あるいは形式)の調和の中にあるのだろうと僕は思う。

過去記事(2019年7月8日)


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