泡沫の上の足跡の如くわが苦悩はすべて消えたり。
おお神よ、汝は不思議にもまた優しきものに、人生を造り給ひぬ。
かつてわれ苦しみぬ、かつてわれ泣きぬ。
さるを今われに残るは、愛せしことの思ひ出のみ。
うら寒く孤独なる部屋の内、
夜更けて唯一人ある気うとさよ、愁しさよ、甘やかさよ!
(フェルナン・グレエグ「解脱」)
~堀口大學「月下の一群」(講談社文芸文庫)P591
時間が解決するというが、必ずしもそうではない。
すべてを受け入れられたとき、世界は真に変わるのだ。
1854年7月、次女ガブリエレが結核のため2歳で逝去。
そして、その翌年、今度は長女ベドジーシカが猩紅熱により4歳でこの世を去っている。
長女を偲んで作曲されたのがピアノ三重奏曲ト短調だという。負の美学たる芸術音楽は、哀しみがあるからこそ生まれるものであり、また人の心を動かすのだと思う。
ベドルジハ・スメタナ(1824-84)。
旋律の親しみやすさ、美しさはもちろんのこと、その、外向的で、民族的な音調が僕たちの心をくすぐる。しかもここでは、ソヴィエト連邦を代表する奏者がリラックスし、脱力のままに思いを込め、熱心に音楽を創り出すのだ。その様子に僕は大いなる一体感を覚える。何という晴れた求心力だろう。
・スメタナ:ピアノ三重奏曲ト短調作品15(1854-55)
ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン)
スヴァトスラフ・クヌシェヴィツキー(チェロ)
レフ・オボーリン(ピアノ)(1956録音)
第1楽章モデラート・アッサイ、主題の悲痛な叫び(ヴァイオリン)と、その裏にある優しさ(チェロ)はまさに神のみ業だといえまいか。オイストラフがうねり、クヌシェヴィツキーが呼応する、そこにオボーリンが地に足をつけ見事に弾けるのだ。あるいは、第2楽章「間奏曲」アレグロ・マ・ノン・アジタートの暗く可憐な歌。音楽は徐々に高揚し、終楽章プレストに至って、ついに晴れるのだ。
スメタナ200回目の生誕日に。