ぼくが音楽を好きだというのは、意味がないから好きなんですね。
(タモリ)
タモリさんは意味が嫌いだという(~ほぼ日刊イトイ新聞—はじめてのJAZZ。)。
以前、「意味の時代、音の時代」という記事を書いたことを思いだした。日本語の面白さは漢字に「音読み」と「訓読み」が存在する点で、その字面だけで相応の意味を感知できるところだ。確かに現代人は、その事象の奥底の意味を探るのは苦手だろうと思う。
しかし、タモリさんが嫌いだというのは「意味」そのものでなく、様々な解釈ができる抽象音楽に意味を探ることそのもののことを言っているのだと思う。
こんなにも、意味がない音楽なのに、意味ありげにいうやつが多いんです。
(タモリ)
クラシック音楽然り、ジャズ音楽然り、特に言葉を持たない器楽音楽には本来意味などないのである。
オーネット、アイラー、コルトレーンとくれば、次はセシル・テイラーだ。
「コンキスタドール!」の退廃美。好き勝手にやっているようにみえるフリー・ジャズにも定石があるだろう。アンサンブルの乱れなど知ったことではない。むしろその混乱の中にこそ音楽的な要素がひしめいているのだ。なるほど混沌と調和は紙一重なのだといえる。個々の力量が問われるところ。
・Cecil Taylor:Conquistador! (1968)
Personnel
Cecil Taylor (piano)
Bill Dixon (trumpet)
Jimmy Lyons (alto saxophone)
Henry Grimes (double bass)
Alan Silva (double bass)
Andrew Cyrille (drums)
1966年10月6日のレコーディング。
「フリー」というものが決して難解なものでなくなった時代にあって、60年近く前の” Conquistador!”は、熱狂と安息が二重に横たわる名盤だと思う。確かにここには意味などない。ただひたすらにプレイヤーが、吐き出すように、そして祈るように音楽をする光景が記録されているだけだ。
音楽は信仰なんだとあらためて思う。
[…] ロスの分析は適確だ。しかし、「音楽に本来意味などない」という視点から言うなら、幸せか不幸せかは聴き手の判断であって、作曲家側の問題ではない。いずれの作品も、どんな作品 […]