コルトレーンの進化・深化のスピードは人間離れしていた。
そして彼は、1967年7月、わずか40歳で逝ってしまった。
ライヒは夜になるとジャズ・クラブに足しげく通い、ジョン・コルトレーンを少なくとも50回は聴いた。またポリリズムによるアフリカのドラミングを録音した78回転のレコードをすり切れるほど聴き、アフリカのリズムについてのA.M.ジョーンズの古典的な専門書を勉強した。
~アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽2」(みすず書房)P523-524
スティーヴ・ライヒの音楽の原点の一つにジョン・コルトレーンがあった。
それから彼は、コルトレーンが自分のカルテットといっしょに演奏するのを聴きに行った。ライヒは、コルトレーンがサクソフォンを持って外へ出ていき、たったひとつか二つの和声で自由自在な即興をやり、そして夜の闇のなかに消えていく、そんな光景を思い浮かべることを好んだ。ライヒはのちにこう言っている。「音楽はただ生まれてきた。理屈なんてない。そこにあるんだ。このことが私に人間の選択を、ほとんど倫理的・道徳的な選択を与えてくれた」。
~同上書P502
ジョン・コルトレーンが後世に与えた影響は大きい。ジャンルを超えて、その苛烈な、人間業とは思えない音楽が、人々の魂をとらえた。ライヒが言うように「理屈なんてなかった」。ただただ音楽に猛進する、あるいは恍惚とサクソフォンを鳴らす姿は天人合一の姿だったと言えまいか。
ヴィレッジ・ヴァンガードから約1年。死の3ヶ月前とは思えぬ、最後の力を振り絞っての、ほとんど音の暴力とも形容できる、泣き喚く音楽が、魂にまで染み入る。”Ogunde”と“My Favorite Things”はいずれも30分前後という、長尺の即興を伴なった途轍もない演奏だ(聴いていて胸が苦しくなるくらい)。
なお、音盤タイトルには「ラスト・コンサート」と銘打たれているが、実際には最後の公演ではなく、最後から2番目であり、コルトレーンは1967年5月7日にボルチモアでもう一度演奏することになる(アリス抜きのピアノレス・クインテット)。
・John Coltrane:The Olatunji Concert: The Last Live Recording (1967.4.23Live)
Personnel
John Coltrane (soprano and tenor saxophone)
Pharoah Sanders (tenor saxophone)
Alice Coltrane (piano)
Jimmy Garrison (double bass)
Rashied Ali (drums)
Algie DeWitt (Batá drum and possibly double bass)
possibly Jumma Santos (percussion)
いつ終わるとも知れぬ音楽は、オラトゥンジとの出逢いを喜び、今後のコラボレーションに希望をつなぐかのように激しく、また生命力に満ちるもの。
決して良いとは言えない音質の録音で聴いてもぶっ魂消るのに、この日この場で実際に最後のコルトレーンを体験した人は卒倒したのではなかろうか。
コルトレーンにはもはや時間は残されていなかった。すべての瞬間が鬼気迫るパフォーマンス。おそらく自身の体力はもうそれほど残されているわけではないことを悟っていただろうに、コルトレーンはこの日のこの演奏に命を懸ける。
この日は、ファースト・セットが”Ogunde”と“My Favorite Things”、セカンド・セットが”Tunji”と”A Love Supreme”から”Part 1. Acknowledgement”だったようだ。セカンド・セットの録音は残されているのだろうか?
[…] オーネット、アイラー、コルトレーンとくれば、次はセシル・テイラーだ。「コンキスタドール!」の退廃美。好き勝手にやっているようにみえるフリー・ジャズにも定石があるだろう […]