クーベリック指揮バイエルン放送響 モーツァルト 交響曲第39番変ホ長調K.543(1980.6.10録音)

当時僕はヴィルヘルム・フルトヴェングラーのベートーヴェンとブルーノ・ワルターのモーツァルトに夢中になっていた。器のできていない僕にとってそれ以外の演奏を受け容れるには程遠い状態だった。

死の3年前、モーツァルトは(性格の異なる)最後の3つの交響曲をあっという間に完成させた。いずれもが「超」のつく名曲として現代も愛好されるが、中で、陰陽二気の「陽」を体現する変ホ長調の交響曲が完成したのは、(今から236年前)1788年6月26日のことだった。

このごろ、自分から市内へ出かけて、お示し下さった友情に対して、じかにお礼を申し上げることができるものと、いつも思っていました。ところが今はとてもあなたの前に現われるだけの勇気がありません。正直のところ、拝借したものをそんなに早くお返しすることがどうしてもできませんので、まだご猶予をお願いしなければならないからです!
(1788年6月27日付、ミヒャエル・フォン・プフベルク宛)
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)P139

なんと完成の翌日の手紙である。
この頃、モーツァルトは連日のように金の無心の手紙を認めていた。経済的困窮が嘘であるかのような明朗な交響曲が生み出される直前にも、そして生み出された直後にも織物商であったプフベルクへの依頼が赤裸々に綴られているのが何とも哀しい。

モーツァルトの創造物がいかに本人の心の状態と切り離されていたか、そのことを証明するのが変ホ長調のこの交響曲だ(わずかに第2楽章アンダンテ・コン・モートに哀願の慟哭が聴き取れる)。

・モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調K.543
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(1980.6.10録音)

あの頃、「レコード芸術」誌をはじめ、音楽雑誌から絶賛されていた録音。
ワルターのモーツァルト一辺倒だった僕はつい避けてしまっていた。というより端から手に取ることさえしなかった。おそらく現代のようにいつでもどこでも自由に音楽を聴くことができる、インターネットやサブスクの時代だったらきちんと正面から向き合っていたのかもしれない。しかし、財力のない高校生に大枚叩いてレコードを揃える勇気はなかった。

それから何十年も経過して、ようやく耳にしたとき、僕はその瑞々しさにあらためて感動した。「無心、無我、無為」の極致、一切の衒いのない理想のモーツァルトがそこにはあった。

先入観は人の成長を妨げる。
縁に随うためには磨かれた直感と素直さが重要になる。来た波に乗れなければ機を逃す。
それは人生の痛恨事になり得る。

モーツァルトの音楽はその人生と確実に切り離された至宝だ。
まったく人間離れしている。


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