トスカニーニ指揮NBC響 ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1939.10.28Live)ほか

信じ難いことだが、18世紀に対して、19世紀のヨーロッパは、こうした優雅も哀愁も調和も失って、ひたすら「愚劣、偽善、粗雑」のなかに転落する。もちろん18世紀までヨーロッパ文明のなかに含まれた合理主義、個人主義、功利主義、物質主義が、社会の内面での調和を失って、主としてフランス革命と産業革命を通して表面に噴き出たためだが、そうした歴史的常識による指摘ではなく、吉田健一が鋭く示すのは、19世紀が観念という幅の狭い存在をあたかも現実であるかのように見なして生きてきた結果、〈生〉というこの幅広いいきいきした現実と、その〈生〉にかかわる悦びとを、一切忘失したという事実だ。フランス革命が自由、平等、友愛(いずれも観念である)を旗じるしにしたことが象徴するように、19世紀は〈生〉という現実のなかから、観念を抽出し、その観念によって逆に現実を統御しようとした。それは現実を効率よく組織するには格好の手段だったが、その分だけ人間は〈生〉を極端に狭くし、〈生〉から疎外されることになったのである。
「吉田健一の世紀末」
「辻邦生全集16」(新潮社)P184

観念が一人歩きしたときに、人間は生から疎外される。
なるほど、生きている意味すら失ってしまうのである。
知行合一。
すべては実践あってのことだということを今僕たちは忘れてはなるまい。

剛速球。しかも簡単にははじき返さない重い球。そんな印象。
乾いた録音が、さらにその印象を倍加させる。
初めて聴いたときは、僕の脳みそはまったくその外観についていけなかった。
40余年を経過して、ようやく真価がわかった。トスカニーニのベートーヴェン。
一糸乱れないアインザッツがマエストロの強力な信念を音化するように、怒れるベートーヴェンを創出する。

トスカニーニは、「ただのアレグロ・コン・ブリオだ」として、余計な思念を追い払って指揮することに専念した。驚くべき熱狂が詰まった音楽は、80余年の月日を経過し、僕たちの心を、魂を鷲掴みにする。

猛然と前進する「英雄」交響曲のパッション!
強靭な音の塊に、聴く者は度肝を抜かれる。果してベートーヴェンはこんなにも熱かったのか?!

ベートーヴェン:
・交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1939.10.28録音)
・交響曲第8番ヘ長調作品93(1939.4.17録音)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団

一方のヘ長調交響曲。
本来ならば典雅で優美な小さな交響曲が、これほどの大きな力をもって真に迫るのだから、音楽の力、というより指揮者の力量がこれほどまでに反映されてしまうものなのかと驚く。僕たちが知っている曲とはまるで別の曲に聴こえるのだから。

当時のトスカニーニは文字通り八面六臂の活躍ぶり。
72歳の身体のどこからそのエネルギーが湧き出るのか、生み出す音楽は常に生命力に溢れ、どこまでも若々しい。実践せよと、欧州の、失われた1世紀を一身で取り戻さんとせんばかりに。

アレグロ・コン・ブリオ アレグロ・コン・ブリオ トスカニーニ指揮NBC響のベートーヴェン交響曲第5番&第8番ほか(1939Live)を聴いて思ふ トスカニーニ指揮NBC響のベートーヴェン交響曲第5番&第8番ほか(1939Live)を聴いて思ふ

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