カラヤン指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン 交響曲第4番変ロ長調作品60(1962.11録音)

たしかにカラヤンは複雑である。かれは、相反する芸術的資質の均衡で成り立っている人間である。白熱する温かさとそれに対する冷たさ、熱情とそれに対する冷静さ、激しい気性とそれに対する規律、生命力とそれに対する内省力、直感力とそれに対する知性、想像力とそれに対する技巧・・・その均衡がカラヤンである。これら相反する力の間につねに高度の緊張を保ち、それのみが分散しようとする力を一点に集中し、ただひとつの目標、すなわち音楽作品を客観的な形(つまりそれをつくった作家の目ざした形)で表現するという目標に向わせてしまうということ、これは途方もない仕事である。
(K.H.ラッペル「ヘルベルト・フォン・カラヤン、その芸術家としての人となりについて」

ラッペルはカラヤン芸術を中庸点にあるものだと見抜く。
少なくとも60年代までのカラヤンの芸術はそうだっただろうと思う。

60年代のカラヤンのベートーヴェン全集を、当時のアナログ盤であらためてひもといた。
個人的には最初のフィルハーモニア管弦楽団とのもの(50年代)が一番だとずっと思っていたが、こちらも実に捨て難い。

1957年9月31日、カラヤンはEMIとの契約が切れても、次の契約は暫定的なものにして、決して1年以上は延長しないことにした。
ヘルベルト・ハフナー著/市原和子訳「ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝」(春秋社)P262

僕は、スピード狂の短小軽薄な演奏だとまったく誤解していたが、これほど熱く、優れた演奏はない。

カラヤンのレコードは、この会社(EMI)だけでも、販売数では—ビートルズには負けるが—マリア・カラスやフィッシャー=ディースカウを上回る。ゲオルク・クライスラーが歌ったように、カラヤンは精力的にレコーディングをした—「時間が許せば、スポーツとして」。
~同上書P263

帝王と呼ばれたカラヤンの功績は、クラシック音楽愛好家の裾野を広げたことだと思う。

カラヤンは活発にメディア戦略を推し進めた。その象徴となった出来事は、1962年11月に完成する予定のベートーヴェンの交響曲のステレオ録音に、150万マルクを投資したことだ。最初のころ、予定した販売数を達成できるかどうか確実でなかったので、1930年代の「ソサイエティ・エディション」シリーズでおこなわれた予約販売方式が再び採用された。1963年2月から、この全集は100万セット以上を売り上げた。
~同上書P270

何と凄まじい数字だ。

ベートーヴェンの交響曲第4番変ロ長調作品60。

・ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調作品60
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1962.11録音)

ベルリンはイエス・キリスト教会でのセッション録音。
「スピード狂」どころか、むしろ控えめのテンポで(?)音楽を十分に鳴らし切る演奏に圧倒される。
第1楽章序奏アダージョの盛り上がり、そこから主部アレグロ・ヴィヴァーチェに移行するシーンの極めて音楽的な流れと集中力。
どの楽章も素晴らしい熱気だが、終楽章コーダでややブレーキを踏み、自然体でありながら堂々たる風趣で終結を表現するカラヤンの真骨頂。

カラヤン指揮フィルハーモニア管のベートーヴェン交響曲全集(1951-55録音)を聴いて思ふ カラヤン指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲全集(1961-62録音)を聴いて思ふ カラヤン指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲全集(1961-62録音)を聴いて思ふ

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む