ズーン ボイド アバド指揮ヨーロッパ室内管 リゲティ フルートとオーボエのための二重協奏曲(1995.3Live)ほか

1968年のはじめ、《ロンターノ》の初演の数ヵ月後に、一人のアメリカ人の友人がリゲティに、映画監督のスタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』と題されたサイエンス・フィクションをリリースし、そこではリゲティの音楽が4つ—《レクイエム》《ルクス・エテルナ》《アトモスフェール》《アヴァンチュール》—も聞こえてくるというニュースを手紙で知らせてきた。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽2」(みすず書房)P492

ジェルジー・リゲティの名前が一般に知られるようになったきっかけだ。
映画で使用されたリゲティの音楽は確かに強烈な印象を観る者に与えた。それは圧倒的だった。

望んだわけでもなく、またそうとは知らずにあるクラブに受け入れられたとき、そこにはふさわしいものとふさわしくないものについて、何らかの習慣を引き継ぐことになります。調性はまったくふさわしくないものでした。メロディを書くこと、無調のメロディを書くことすら、絶対にタブーでした。周期的なリズム、拍もタブーで、不可能でした。音楽はまえもって決められたものでした・・・新しいときにはうまくいくのですが、すぐに古くなります。いまやタブーは何もありません。すべてが許されています。しかし、ただたんに調性に戻るわけにはいきません。それはとるべき方向ではないのです。戻るのでも、また前衛を続けるのでもないような道を見つけなくてはならないのです。私は牢屋のなかにいるんです。ひとつの壁は前衛で、もうひとつは過去です。だから私は逃げ出したいのです。
(ジェルジー・リゲティ 1993年)
~同上書P488

後年のリゲティの回想が重い。
常に新しい方法を模索せざるを得なかった創造者の苦悩というものが手に取るようにわかる。天才の役割とは、どこにも属さない、何者でもない世界をいかに創出するか。

子ども時代の体験で、後の作品に反映されている体験をいくつか挙げておこう。ルーマニア語の存在を知らなかった幼いリゲティは、ルーマニア人警察が知らない言語で高圧的に喋る姿に驚いた。その体験が実質的なミニ・オペラ『アヴァンチュール』(1962)と『新アヴァンチュール』(1962-65)、そしてオペラ『ル・グラン・マカーブル(大いなる死神)』(1974-77/1996)から独立した《マカーブルの秘密》(1992)における人工言語(暗号)と絶叫を組み合わせた音楽に繋がっている。また3歳のころに伯父夫妻に預けられた際には、羊飼いたちが吹くアルプホルンから立ち昇る独特な倍音の響きに魅せられ、そのサウンドはオーケストラのための《メロディーエン》(1971)、ホルン三重奏曲(1982)、《ハンブルク協奏曲》(1998-99/2003)などに反映されている。
(小室敬幸「スコアの深読み」)
~「月刊都響2023 March No.390」P68-69

ヒントになるのは幼少期の体験だ。
体験したことをいかに見える化できるか。そこに壁を突破する答があり、リゲティはそれを見事に成し遂げた。

リゲティ:
・3人の歌手と7つの楽器のための「アヴァンチュール」(1962/1963)
・3人の歌手と7つの楽器のための「新アヴァンチュール」(1962-65)
ジェーン・マニング(ソプラノ)
メアリー・トーマス(メゾソプラノ)
ウィリアム・ピアソン(バス)
ピエール・ブーレーズ指揮アンサンブル・アンテルコンタンポラン(1981.3録音)
・チェロ協奏曲(1966)
ジャン=ギアン・ケラス(チェロ)
ピエール・ブーレーズ指揮アンサンブル・アンテルコンタンンポラン(1992.10録音)
・13楽器のための室内協奏曲(1969-70)
ピエール・ブーレーズ指揮アンサンブル・アンテルコンタンポラン(1982.3録音)
・マカーブルの秘密(1988)(エルガー・ホーヴァス編)
ホーカン・ハーデンベルガー(トランペット)
ローランド・ペンティネン(ピアノ)(1989.3録音)
・フルートとオーボエのための二重協奏曲(1972)
ジャック・ズーン(フルート)
ダグラス・ボイド(オーボエ)
クラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団(1995.3Live)

リゲティの音楽はいつも静寂の中にある。否、混沌と一体になった静寂そのものと言っても良いだろう。「アヴァンチュール」も「マカーブルの秘密」にも確かな静寂がある。
(ちなみに、「マカーブルの秘密」は僕がPROMS’89でペンティネンの実演を聴いた5ヶ月前のラ・ショー・ド・フォンでの録音だ。)

宙から湧いて出たような、あるいは空から紡ぎ出す、禅問答のようなリゲティの方法をわかりやすく音化したのはピエール・ブーレーズだったが、それらを磨き上げ、よりスタイリッシュに表現したのがクラウディオ・アバドだった。ズーンとボイドを独奏に据えた二重協奏曲は、いかにもリゲティらしい漆黒の音楽であり、そこから一条の光が差す瞬間(クレッシェンドし、阿鼻叫喚に近いクライマックスが築かれ行く第1楽章5分30秒以降)の神々しさが忘れられない。

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