ゼルキン トスカニーニ指揮NBC響 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58(1944.11.26Live)ほか

ロマン・ロランのいう、いわゆる「傑作の森」時期のドキュメント。
社会活動に奔走する人間ベートーヴェンの状況が見え、興味深い。

年給支給の開始時と違ってその終焉を裏付けるドキュメントはないが、次の2点から推測が可能だ。ひとつは、1806年10月にボヘミアのリヒノフスキー居城にてフランス将校もてなしのために侯からピアノ演奏を強要され、拒み、夜、雨中にヴィーンに飛びかえった事件である。リヒノフスキー侯も面子を潰され立腹したのは間違いなく、その後に親しい交流は途絶えた。第二は、それ以後ベートーヴェンの経済状況が急速に悪化することである。
大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P115-116

創作活動とは出版をもってようやく終了するものだということを忘れがちな僕たちだが、ベートーヴェンにも生活があったことをあらためて思い起こさせてくれる(当たり前のことなのだが)。

リヒノフスキーからの生活支援が途絶えて以来、ベートーヴェンは生計の維持に苦慮していた。その意味で、1807年4月、降って湧いたクレメンティとの契約に小躍りして喜んだ様が直後に書かれた書簡に現れている。しかしその契約は前払いではなく原稿の到着をもってということになっていたので、ナポレオンによる大陸封鎖の最中であった当時、たとえ郵便事故が起こらなくても、報酬を手にするのは1年以上後のことであるのは彼にも解っていたはずである。
~同上書P117

当時のベートーヴェンの心境はよくわかる。先般のコロナ禍中の緊急事態宣言時に僕たちが体験した事態と(ある意味)何ら変わることはない。彼はオーケストラ・コンサートを企画し危機を打開しようと目論んだ。それが1808年12月22日の、アン・デア・ウィーン劇場での「大コンサート」であった。

ここで公的初演されたピアノ協奏曲第4番の独奏はベートーヴェン自身が受け持ったが、ベートーヴェンのピアニストとしての演奏活動はこれが最後になった。

ベートーヴェン:
・ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58(1944.11.26Live)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
・ピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15(1945.8.9Live)
アニア・ドルフマン(ピアノ)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団

若きゼルキンの緊張の面持ちが垣間見える、巨匠トスカニーニとの一期一会。
第1楽章アレグロ・モデラート冒頭は想像以上に大人しい印象を受けるが、音楽が進むにつれオーケストラが火を噴き、それに感化されるようにゼルキンがまるで獅子奮迅する作曲者のようにピアノをコントロールする。また、第2楽章アンダンテ・コン・モートはゆったりとした足取りで奏され、ピアノ独奏も(随分慣れたかのように)自然体で祈るように紡がれる(美しい)。続く終楽章ロンド(ヴィヴァーチェ)の軽快さは、徐々に重厚さに転じ、最後は堂々たる風趣で迎えられる(コーダの追い込みにも余裕が感じられるのだ)。
聴衆の拍手喝采が素晴らしい。

ブッシュ弦楽四重奏団 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第1番作品18-1(1933.11録音)ほか カザルス ゼルキン ベートーヴェン チェロ・ソナタ第3番ほか(1953.5Live) ルドルフ・ゼルキン ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィル ベートーヴェン 第5番「皇帝」(1941.12.22録音)ほか カザルス&ゼルキンのベートーヴェン作品5-1&作品102-2(1953.5Live)を聴いて思ふ カザルス&ゼルキンのベートーヴェン作品5-1&作品102-2(1953.5Live)を聴いて思ふ ベートーヴェンの作品110 ベートーヴェンの作品110

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