人の声

思わぬ展開。たいしたことじゃないが、今日はいろんな人たちが電話をかけてきた。仕事につながりそうなので良い感じかな、と思っている。

ずっと人間の教育に関わっていて、やっぱり人を相手にカウンセリングしたり講義をすると自分が生き生きしてくるのだ。若手社会人に対して教えたいことがある。そして、学生には就職支援をしたい。常に潜在的に僕自身の中にある願望である。

今日の午後、知人の紹介で近藤京子先生のボイス・トレーニングに参加した。自らの身体を楽器に見立てていかに通る声を出すかを体感と理論の両面から教えていただいた。なるほど。いちいち感心させられる(教え方がとても上手。参考になります)。大事なのはグラウンディング。そう、大地にしっかりと根を張り、身体をパイプにして「気」を循環させるというイメージ。それがポイントである。口先や小手先のテクニックでは聴衆を「感心」させられても「感動」させることはできないという。言い得て妙。

ところで、何だかあまり話題にならないが、今年はディヌ・リパッティ生誕90年のようだ。
リパッティはハイドシェックと同様アルフレッド・コルトー門下である。これまたハイドシェックと同じく聴衆に対するサービス精神は旺盛なようで、白血病という最悪の状態をおしてリサイタルを敢行した最後の演奏会「ブザンソン告別演奏会」は夙に有名である。

ブザンソン音楽祭における最後のリサイタル(1950.9.16Live)
ディヌ・リパッティ(ピアノ)

バッハのパルティータ第1番、モーツァルトの第8ソナタ、シューベルトの即興曲のほか、ショパンのワルツ全曲が舞台にかけられた。ワルツに関しては全14曲を弾く予定だったが、力尽き第2番のみ演奏されず。
しかし、録音を聴く限りにおいてとても2ヵ月半後に亡くなるとは思えないほど、地に足のついた「重み」のある音楽を彼は奏でている。
最後の気力と体力を振り絞るかのように、「気」の循環した、とても「感動的」な音楽。
50年以上前の実況録音であるゆえ音は決して良くない。しかし、リパッティ不滅の記録である。

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