
“Dancing With the Moonlit Knight”
“Firth Of Fifth”
“More Fool Me”
“Supper’s Ready”
“I Know What I Like”
Live Recording at the Rainbow Theater, London 1973.2.9
リリース当時、僕は衝撃を受けた。今とは違って音楽を享受するのに音盤を手に入れない限り為す術はなかった。隔世の感あり。
四半世紀余りを経てあらためてじっくり聴いた。
1973年のジェネシス。
完璧に再現するのも素晴らしいが、そこにライヴならではの息遣いと熱気がプラスαされるのだから堪らない。
演劇的要素と完全な音楽が合一した類稀なステージ・パフォーマンスだったのだと思う。
生命力が半端でない。
曲間にピーター・ガブリエルによって語られる物語もあまりに独創的。
「ヘンリーおじいさんは、いつも閉まっているペットショップの前を通り過ぎ、いつも開いている公園に入りました。その公演は、とても滑らかできれいな緑の芝生で一杯でした。ヘンリーおじいさんは服をすべて脱ぎ、濡れた、きれいな緑の芝生の上に身を投げ、こんなようなちょっとした曲をカヴァーしました。
地面の下では汚れた茶色の昆虫が・・・」、と続く吃驚な物語の後のシュールな詩の世界に現実の非現実の狭間がわからなくなりそうだ。
しかし、音楽的奇蹟がそこにあった。
エド・グッドゴールドは、ハマースミス・オデオンでのジェネシスのコンサートに初めて触れたときに感じたことを次のように語っている。
彼らが執り行っているのが、ロック信者のためのミサとも言える宗教的な儀式であることがわかった。その夜そこにあつまっていたのはオーディエンスではなく信徒であった。彼らが求めるのは畏怖の念を引き起こさせる暗示と趣向と感覚であり、バンドは見事にそれに応えていた。
エド・グッドゴールド「5人目の探偵はアメリカで生きている」
~VJCP-36072-75ブックレット(野村伸昭訳)
なるほど、そういうことかと僕は膝を打った。
自身が期せずして導師になって行ったその過程で、そしてその頂点で(翌年)ピーターは自らを葬ったということだ。
ピーター・ガブリエルは大司祭だった。ジェネシスという教会の儀式を彼はパワフルに激烈に行ったが、何より大切なのは、彼がそれを心の底から信じて行っていたということだ。ピーターはその手を聴衆にかざし、祝福した。群衆はそれを感じ取り、もっと感じたいという思いが彼らを昂揚させた。ピーターのパフォーマンスの成功は、ロックの礼拝を執り行う彼自身の才能と、その儀式を成功させたいと願うオーディエンスの力が相まってもたらされたものだった。ピーターや他のメンバーたちに導かれる形で、オーディエンスは彼らとの関係性を築き上げていった。
やはり天才なのだ。否、天才たちが集まった奇蹟のバンドだったのだ。
スティーヴ・ハケットはギターという霊媒を通して祈りを捧げた。憧憬、昂揚、悔悟、そして愛情の込められたその音は救済を請い、心から湧き出る優しい祝福を求めた。彼のギターの祈りは強さと率直さを持って築き上げられたものだった。その嘆願は決して弱々しいものではなかった。彼は自分自身だけのためではなくすべての信徒たちのために祈っていた。
ハケットのギターが祈りだという比喩も的を射ている。
そして、バンクスは大聖堂そのものであり、バンドの土台であったのだ。納得。
トニー・バンクスはキーボードとシンセサイザーで音の大聖堂を築いた。「強大な要塞は我らが神」という伝承を呼び起こしながら、彼は必滅の人間たちを矮小にさせる音楽的構造を作り上げた。演奏する時、彼の片手は謙遜と悔恨の情を抱き、もう一方の手は神を讃えていた。
・Genesis Archive 1967-75 (1998)
Personnel
Peter Gabriel (lead vocals, backing vocals, flute, percussion)
Tony Banks (piano, organ, electric piano, Mellotron, synthesizer, 12-string guitar, backing vocals)
Mike Rutherford (bass guitar, 12-string guitar, bass pedals, backing vocals)
Steve Hackett (lead guitar)
Phil Collins (drums, percussion, vocals, lead vocals)
フィルが初めてリード・ヴォーカルをとった”More Fool Me”の、哀しい色香が美しい。
名曲である。(フィルが実は最も俗っぽい)
フィル・コリンズ:「呼吸するすべてのものに神を讃えさせよう」
彼はドラムに歌を唄わせることができた。リズムを刻むだけでなく、まるでドラムキットからメロディを絞り出すことができるようだった。聴く者のイマジネーションをかき立て、魂を震わせるような、鋭敏で複雑で強烈なリズムを彼は生み出すことができた。彼のドラムサウンドもまた何かを熱望し、彼が一度も訪れたことのない場所への回帰を求めるものだった。
そして、マイケルは変幻自在に、静かに、そして孤独に祈りを捧げる。
ダブルネックのリッケンバッカーを操るマイケル・ラザフォードは、ベースを弾いていたかと思えばギターを弾き、ある時はリズムを刻み、またある時はメロディを奏でていた。彼の楽器は他の4人の声に乗せてアーメンを唱えていた。
言葉では言い尽くせぬ素晴らしさ。
とにかく音を聴いてみよ。そして、体感してみよ。
わたしは、聖書以外の本は何も持ってこなかった。だがきょう、そのなかに書かれたいかなる言葉にもまして、あのパスカルの取りみだしたすすり泣きが心をうつ。
《神ならぬものは、わが期待を満たすを得ざるなり》
ああ、わたしの軽率な心がねがっていたあまりに人間的な悦び・・・主よ、主がわたくしを絶望に投げ入れたもうたのは、この叫びを発せしめようとお考えだったためでしょうか?
~アンドレ・ジッド/山内義雄訳「狭き門」(新潮文庫)P239-240
※太字はエド・グッドゴールド「5人目の探偵はアメリカで生きている」(VJCP-36072-75ブックレット)から引用。

