マンロウ指揮ロンドン古楽コンソート ランディーニ 「春は来たりぬ」(バラータ)ほか(1969.4録音)

音は楽しむもの。
何でも楽しめることは幸せなことだ。それ以上のものはない。
この世界は喜怒哀楽に満ちているが、どんな事象においてもそれを生かすことができるかどうか。

科学万能主義に至る以前の中世は、信仰がその中心だったと聞く。
現代は目に見えることしか信じなくなった(公衆が真の世界を見失ってしまった)時代といえば言い過ぎだろうか。
すべては氷山の一角で、目に見えない氷がどれほど大きいものか。あるいは、樹木も目に見えない根っこにこそ栄養分を与えない限りよく育たない。

信じられるかどうか、信じて楽しめるかどうか、究極はそこだと思う。

ダンテ・アリギエーリの「神曲」天国篇第1曲冒頭。

萬物を動かす者の栄光遍く宇宙を貫くといへどもその輝の及ぶこと一部に多く一部に少し
我は聖光を最多く受くる天にありて諸ゝの物を見たりき、されど彼處を離れて降る者そを語るすべを知らずまた然するをえざるなり
これわれらの智、己が願ひに近きによりていと深く進み、追思もこれに伴ふあたはざるによる
しかはあれ、かの聖なる王國についてわが記憶に秘蔵めしかぎりのことゞも、今わが歌の材たらむ
あゝ善きアポルロよ、この最後の業のために願はくは我を汝の德の器とし、汝の愛する桂をうくるにふさはしき者たらしめよ

ダンテ/山川丙三郎訳「神曲(下)天堂」(岩波文庫)P13

まるで老子の静清経のようだが、「神曲」においても創造主のことが上記のように記されている。

14世紀のイタリアは、芸術のあらゆるジャンルにおいて豊かな実りを見せました。ダンテ(1265-1321)が『神曲』を書き、ペトラルカ(1304-1374)が香り高い詩を残し、ボッカチオ(1313-1375)の『デカメロン』も現れましたし、形骸化したビザンツ様式を捨てて自然な描写をめざしたジョット(1266頃-1337)の絵が生まれました。
(高野紀子)
~ライナーノーツPROA-234

700年前の欧州はイタリアの暗黒と光明の対比。
陰と陽の対があって芸術の活況が生まれた。
その頃の音楽も実に単純かつ陽気なものが多い。
デイヴィッド・マンロウとロンドン古楽コンソートによる「中世のイタリア音楽集」。

フランチェスコ・ランディーニ:
・春は来たりぬ(バラータ)
・トリスタンの嘆き(作者不詳)
・美しさとやさしさの(バラータ)
・愛よ、この乙女を(バラータ)
・トロット(作者不詳)
・ああ、いっておくれ(カノン風マドリガーレ)
マギステル・ピエロ:
・甘き望みを持ちて(カッチャ)
・2つのサルタレッロ(作者不詳)
アントニオ・ザッカーラ・ダ・テーラモ:
・ロゼッタ
・私が公爵を見ると(カノン風マドリガーレ)(作者不詳)
フランチェスコ・ランディーニ:
・いとしき人よ、あなたの旅立ちは(バラータ)
ジョヴァンニ・ダ・フィレンツェ:
・犬を引き連れ(カッチャ)
イスタンピッタ・ゲッタ(作者不詳)
ロレンツォ・ダ・フィレンツェ
・さあ、おあげなさい(マドリガーレ)
ヤコポ・ダ・ボローニャ:
・私が不死鳥だった時(マドリガーレ)
・白い花(作者不詳)
デイヴィッド・マンロウ指揮ロンドン古楽コンソート
ジェイムズ・ボウマン(カウンターテノール)
ナイジェル・ロジャーズ(テノール)
マーティン・ヒル(テノール)
オリヴァー・ブルックス(バス・ヴィオール)
メアリー・レムナント(トレブル・レベック、中世フィドル)
ロバート・スペンサー(リュート)
クリストファー・ホグウッド(オルガン、ハープ、打楽器)
アラン・ラムズデン(テノール・サックバット)
デイヴィッド・マンロウ(リコーダー、クルムホルン、テノール・シューム)(1969.4録音)

簡潔な歌、音楽のうちにある愉悦と慈悲。
世界が混沌とし、争いや災難が蔓延した暗黒の時代であるからこその、世俗にとっつきやすい、明るい音楽が僕たちを包む。

フランチェスコ・ランディーニ(1325-97)
フィレンツェの聖ロレンツォ教会の盲目のオルガニスト。イタリアにおけるアルス・ノヴァを代表する作曲家。2~3声の世俗声楽曲やオルガン曲を作曲。
クラシック音楽作品名辞典(改訂版)(三省堂)P1019

彼の辞書にはフランチェスコ・ランディーニの名が辛うじて掲載されている。
辞書に載っていないヤコポ・ダ・ボローニャ、ロレンツォ・ダ・フィレンツェはどうやらランディーニの師だろうといわれており、ジョヴァンニはフィレンツェのオルガニスト、マギステル・ピエロはミラノやヴェローナの宮廷にいて、14世紀初頭に活躍したようだ。

ちなみに、この頃は、フランスでもイタリアでも多声の世俗曲が急速に隆盛を誇るようになり、逆に宗教的音楽に影響を与えるほどだったという。中でもイタリアは非常に自然な、即興的に出てきたようなメリスマ(コロラトゥーラ)的旋律線に単純な和音がついていくような音楽が一世を風靡したというのだから、まさに「音を楽しまん」と公衆がこぞって音楽を奏でていたのだろうと想像する。
マンロウの先見。わずか34歳で自死を選択したことが惜しまれる。

限りなく優しい女性たちよ、あなた方がみな、生まれつきどれほど憐れみ深い存在であるかを思い返すにつけて、そのたびごとに、この作品があなた方にとってあまりにも悲しく辛い書き出しになっていることを、私は認めずにはいられない。なぜなら、目のあたりで見たにせよ、恐ろしいものとして伝え聞いたにせよ、誰にとっても忘れることのできない、あの荒れ狂った死の疫病の苦しい思い出で、この作品が始まっているからであり、それを冒頭に掲げているからだ。しかし、だからといって、これから先も読み進めながら、あなた方が恐れをいだいたり、いつまでも溜息と涙のあいだで話を読みつづけなければならないものとは、思わないでいただきたい。身の毛もよだつばかりのこの書き出しは、あなた方にとって目の前に険しくそびえる山を登ろうとするのに少しも変りがなく、これを踏み越えさえすれば限りなく美しい平野がひろがって心嬉しい休息が待ち受けているのだから。登り下りの苦しみが大きければ大きいほど、後の喜びはいっそう増すだろう。そして歓喜の果てに悲しみが襲ってくるように、悲惨が終ったときに歓喜は必ずや追いついてくる。
「第一日—序」
ボッカッチョ/河島英昭訳「デカメロン(上)」(講談社文芸文庫)P17

1969年 1969年

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