
ショパンのピアノ協奏曲第2番にはアルゲリッチの名演奏があるが、アルゲリッチの奔放さとは異種の、しかしながらやはり自由闊達なドライヴを誇るのはピリスその人の録音だと思う。

僕はずっとこの作品を駄曲だと認識していた。
10代の頃、ショパンの音楽にぞっこんだったあの時期も、この作品だけはどうにも好きになれなかった。その感情をがらりと変えてくれたのがピリスだった。
どうしてそうなったのかは未だに説明がつかない。
ある日、ある瞬間に「腑に落ちた」のである。
鍵はやはり第2楽章ラルゲット。ここにはショパンの、永遠の、切ない思いが反映される。
(ウィーンから)帰国後、演奏家として活躍するには協奏曲が必要と考えた彼は、《ヘ短調協奏曲》の作曲に着手するが、この曲には当時音楽院で歌を学んでいたコンスタンツィア・グワドコフスカに対する初恋の想いが込められている。協奏曲は翌1830年3月17日、ショパンにとってワルシャワでは初めての本格的な公開演奏会において公式に初演され、大成功を収めた。
~「作曲家別 名曲解説 ライブラリー④ ショパン」(音楽之友社)P14
ショパンの果敢な挑戦とすれば聞こえは良いが、どこかコマーシャルさを狙った感を否めないことに若い日の僕は抵抗を感じていたのかもしれない(しかし、あのラルゲットは別だ。確かに初恋の苦悩が連綿と連なる美しい旋律に乗せられ、聴き手がそれに感応して苦しくなるくらいだから。強いて言葉にするなら、そのことを感じさせてくれたのがピリスだったのである)。
・ショパン:ピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21
マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)
アンドレ・プレヴィン指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(1992.6録音)
何も足さず何も引かず、プレヴィンの伴奏も実に自然体。その上でピリスのピアノ独奏を引き立てようとする謙虚さが素敵。こういう演奏を聴かされたら堪らない。
佳い曲だと思う。
《ヘ短調協奏曲》の第1楽章アレグロは(一般の聴衆にはわからなかっただろうが)喝采をもって迎えられた。しかし僕は思うに、これは大衆がまじめな音楽をどう味わうかをいかにも知っているかのように表明しようとしていることなのである。どこの国にも通ぶろうとする人間はたくさんいる。アダージョ(ラルゲット)とロンドはひじょうな効果をあたえた。これらのあとで拍手とブラボーが彼らの心の底から本当におこった。
(初演直後、友人ティトゥスに宛てた手紙)
~同上書P26
ピアニスト、ショパンは非常に斜に構えて(?)聴衆を見ていたことがわかる。
ショパンにとって実に真面目な作品。