衝撃の天使

ワールド・ミュージックが一つのジャンルとして確立してからそんなに年月を経ていないと思うが、現在のような隆盛を誇るきっかけを作ったのはおそらく昨日書いたブライアン・ジョーンズなのだろう。そして、志半ばにして斃れたブライアンの後を引き継ぎ、現今の道筋を微細につけていったのはピーター・ガブリエルの功績だと僕は思う。

以前のブログにも書いたが、第5作「So」によって爆発的人気を獲得した彼は、その後もマイペースで独自の境地を深めていき、「ピーター・ガブリエル」という名前そのものがbigになるにつれて、ますます枯れた世界に突入していく彼の生き様はある意味「仙人」的でとても興味深い。

peter gabriel

1980年発表の第3作「peter gabriel」を聴く。
彼の場合、1作目から4作目まで、アルバム・タイトルは自身の名「peter gabriel」がシンプルに冠されている。あくまでも自分自身が「ブランド」なのだと主張し続けた証としての自信に裏打ちされた初期の傑作群。その中でも、「3」は「4」と並び、発表後30年近くを経た今でも決して色褪せない普遍性を持つアルバムである。
「ジャジューカ」同様、人間の根源的な「民俗性」をテーマにし、人々の鼓動に連動する「リズム」を主体に既存のロック・ミュージックと融合させた独特の音作りによって、ストラヴィンスキーがディアギレフと成し遂げた1913年のシャンゼリゼ劇場でのパフォーマンスを髣髴とさせる衝撃性をロック・ミュージックの世界で再現したところが彼の偉大なところであると僕は思う。そして「春の祭典」の作曲者と同じく、年月を経るにつれ賛同者が増し、音楽家として絶大な人気を得るとともに孤高の境地に到達していく姿には畏怖の念を覚える。

セックス・ピストルズ出現時のパンク性以上の「パンク」を秘めた画期的衝撃的音盤がこの作品なのである。

「体内リズム」と協和し、心地よい陶酔感を誘発する特に、ラスト・ナンバー、スティーヴン・ビコに捧げた「Biko」は悲しくも美しい・・・。

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