聖俗融合

明日はいよいよ*AK* the piano duoによる「春の祭典」コンサート。「変化極まりない奇怪なリズム、そして威圧的な管弦楽の咆哮」と評される20世紀の古典音楽を2台ピアノでどう料理するかが聴きもの見ものである。
「春の祭典」はご存知のように1913年のパリ初演時に大スキャンダルを巻き起こした当時としては極めて前衛的な楽曲なのだが、そもそも作曲者のストラヴィンスキーは前々作「火の鳥」を創作時に次のような着想を突然得てこの曲を書き始めたということだ。

「突然、荘重な邪教徒の祭典という構想が頭に浮かんだ。輪を描いて座った長老たちが一人の若い娘が死ぬまで踊るのを見守っていた。彼らは春の神の心を和らげるために彼女を犠牲にしていたのである。」

なるほど、異教徒の儀式か・・・。確かに打楽器の激しいリズムや音は「霊的」なものを招致し、人間の魂をトランス状態にさせる効果効能を持っている。「春の祭典」のような、いわば「民俗音楽」的傑作が20世紀の初頭に、しかも第三世界ではなく近現代西欧芸術文化のメッカであったパリで生まれ落ちたことが何より象徴的であり、面白い。

ところで、今日は1960年代後半、まだまだワールド・ミュージックなるジャンルがマーケットとして確立されるはるか前、ローリング・ストーンズのリーダーであったブライアン・ジョーンズがアフリカ大陸モロッコの山間にある村ジャジューカにて生録したアルバムを聴く。

Brian Jones presents The Pipes of Pan at JAJOUKA

これは、ボウ・ジェロウドという名の半人半羊の牧羊神の伝説としてかの地に伝えられている儀式音楽で、豊作や村人の幸福を祈願するために演奏される音楽を、ブライアンが現地にて録音し編集したものである。おそらく1971年の発表当時(その時既にブライアンは亡くなっていたが)は賛否両論どころかほとんど誰にも顧みられなかったのではなかろうか。しかしながら、この原始的な生活を送る種族の持つ音楽的「魔力」はいかばかりのものであろうか。「これが本当の音楽なのだ」と痛感させられる、まさに「トランス・ミュージック」なのである。

音楽は、元々教会音楽から派生し、成長を遂げてきたいわゆる「西洋古典音楽」と、そして世界各地の村々で自然と人間の祈りとともに成長してきた「民俗音楽」という2つの枝が、20世紀を迎えある意味初めてストラヴィンスキーの「春の祭典」を通じて出逢い、その後ジャズ・ミュージックやロック・ミュージックを通してやっと「一つ」に融合した「宇宙」であると僕は考える。
人間の根源的なエネルギーの発露をおそらく世界でほぼ最初に音として記録した「ジャジューカ」、
以前お奨めした「海童道宗祖(わたづみどうそ)の神秘の竹の音」とあわせて必聴もの。
人間は文明の進歩とともに大切なもの、ことを忘れてしまっている。

※ちなみに「Jajouka(ジャジューカ)」には「何か良いことが、きっとあなたにも起こる」という意味が込められているそうだ。

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