傑作?

朝比奈隆が最晩年、まさに死の1ヵ月半ほど前に予定していた東京での特別演奏会に取り上げようとしていたプログラムはブルックナーの第3交響曲だった。残念ながら体調不良によるキャンセルによりその公演は中止になり、以降2度と朝比奈は聴衆の前に姿を現すことはなかった。結局彼は2001年12月29日に没したのだが、それからわずか2ヶ月も経たないうちに今度はブルックナーを得意としたもう一方の雄ギュンター・ヴァントまでもが、数ヵ月後に予定されていたベルリン・フィルハーモニーとのこちらは第6交響曲を振ることなく老衰で逝ってしまったのである。

死の床に伏していた朝比奈隆は幾度となく繰り返し「ブルックナーの第3交響曲は自分でなければ聴衆に納得してもらえる演奏はできない」と身内の人間に語っていたそうだ。ブルックナーを得意とした朝比奈隆でもそうは頻繁に舞台にかけるだけの自信は最晩年まで持てなかったようで、それくらいこの曲の演奏は大変に難しいらしい。その彼が齢93にしてようやく一つの「答え」を見つけたようで、久しぶりに手兵大阪フィルハーモニーとの東京でのパフォーマンスだったゆえ、御大としてもさぞかし悔しい思いであったのだろう。

今日はブルックナーの没後111年目の命日である。
ふと、朝比奈先生のブル3を聴けなかったことを思い出し、久しぶりにかの曲をしんみりと聴いてみた。

ブルックナー:交響曲第3番ニ短調(ノヴァーク版)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団

老練のブルックナー・ファンには後期の3つの交響曲以上に第3交響曲を賞賛する人が多い。僕自身初めてこの曲に触れたのはカール・ベームがウィーン・フィルハーモニーと入れたロンドン盤であったように記憶する。その時は本当にブルックナーの洗礼を受けたばかりのころでとにかくブルックナーの全交響曲をマスターしようと勢い込んでいたこともあり、好んで聴いていたはずなのだが・・・。

しかし、久しぶりに真面目にこの曲を耳にして感じるのだが、CDで聴く限りどうも「冗長」なところが鼻につき、いま一つ心が奮えないのである。ところどころに現れる美しいフレーズや魅力的な主題などを聴くと「ドキドキする」瞬間がなくはないのだが・・・。

ちなみに、この曲の第1稿は尊敬するワーグナーに捧げられている。初版ではワーグナーの楽劇からのモチーフが幾つも用いられており、後年スリム化された最終稿より面白い(と僕は思う)。CDではエリアフ・インバルがフランクフルト放送交響楽団と録音した音盤が優れものである。

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