ゲルギエフ指揮ミュンヘン・フィル シューベルト 交響曲第8番ハ長調D944「ザ・グレート」(2021.5.21Live)

この作品は第1楽章アンダンテ—アレグロ・マ・ノン・トロッポこそすべてだとずっと思っていた。だから、シューマンが当時の批評で第2楽章アンダンテ・コン・モートを賞めていることが意外だった。

この曲の模様を少しでも知らせようと思ったら、交響曲全体の筋を小説でも書くように書かなければなるまい。ただ、あんなに感動的な第2楽章については、ぜひ一言しなければ気がすまない。この中でホルンが遠くから呼ぶ声のように聞こえてくるところがある。これをきくと、僕はこの世ならぬ声をきくような気がする。そうして天の賓客の忍び足で通ってゆく音を、傾聴するかの如く、全楽器ははたと止んで耳を澄ます。
シューマン著/吉田秀和訳「音楽と音楽家」(岩波文庫)P176

僕も洗脳されやすいのかどうなのか、こういう論を読んで後、あらためて交響曲を聴くと、なるほど確かにあの部分は「この世ならぬ声」のように聞こえなくもない。
新たな発見だと思った。
抑制された音が、とにかく静けさを喚起するのである。
これぞ「サウンド・オブ・サイレンス」だと僕は感じた。

ガスタイクでの収録。
コロナ禍でのコンサートはどこもこんな感じだった。
爪楊枝のような棒で指揮するゲルギエフの姿はいつも通り。
ただ、実に見通しの良い造形に、いつものゲルギエフの解釈とは少し異なると感じた。
第3楽章スケルツォ(アレグロ・ヴィヴァーチェ)は、ゆったりとした主部の表現に余裕を思い、優美なトリオに大自然に通ずる安息を感じた(アントン・ブルックナーの先どり)。

ただし、個人的にはやっぱり第1楽章と終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェが圧巻だと思った。
いずれも音楽に潜む途轍もない推進力と愉悦の念が見事に音化された演奏。起承転結が上手に編まれた全体観に優れた表現は、ゲルギエフならではだろう。ミュンヘン・フィルの堅実な演奏も群を抜く。

この交響曲は、僕らに、どんなベートーヴェンの交響曲にも見なかったほどの効果を与えた。芸術家と芸術の友はみな口を揃えて賞めたたえた。それから、これを極めて綿密に検討した大家からきかされた言葉は、(彼がどれ程研究したかということは素晴らしい演奏ぶりをみてもよくわかった)本当にできることなら、シューベルトのところへ持っていってやりたいようなもので、恐らくシューベルトにしてみれば、きっとこれが無上のうれしい便りだった朗。この曲がドイツに根を生やすまでにはまだ幾年もかかるだろうが、忘れられたり見失われたりする心配に至っては、全然ない。この曲は永遠の青春の胚芽を含んでいる。
~同上書P177

シューマンの手放しの讃辞に快哉を叫ぶ。

チェリビダッケのシューベルト チェリビダッケのシューベルト

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