ケーゲル指揮ドレスデン・フィル ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」(1989.10.18Live)

北海道は新得町の大晶ファームで農業体験をした。
孤独に蕎麦の実を収穫する間、僕の脳内では終始フルトヴェングラー指揮する田園交響曲が鳴っていた。僕がフルトヴェングラーにはまったきっかけとなったのは、1952年のウィーン・フィルとのEMI録音だった。
生憎、僕が持参していたiPodには件の録音は入っていなかった。
しかし、ヘルベルト・ケーゲルが自死する1年前の来日公演で披露したライヴ演奏が入っていたものだから、せっかくだからこれを聴きながら農作業に勤しんだ。あらためて凄い演奏だと思った。

ベートーヴェンはおそらく自然と対峙しながら真我と向き合っていたのではなかろうか。
もちろんそれは本人の意識とは別だ。この交響曲には、人間業を超えた宇宙創成以前の、父母未生以前の、目に見えない働きが確かに関与していると僕は思った。そして、ベートーヴェンは本性ではそのことがわかっていたのではないかと想像した。

ケーゲルの演奏は奇蹟だ。音楽のどの瞬間も神々しい。
中で、僕が最も感激するのは終楽章「牧人の歌—嵐の後の喜ばしい感謝に満ちた気分」だ。
しかも、そのコーダの、突如として暗澹たる空気が立ち込めるその様相に、まるで指揮者が1年後の自死を覚悟したかのような気分が同調し、(この部分を聴くたびに)そのあまりの暗い美しさに聴衆が呆然となっているような気がして、とても悲しくなるのだ(同時に僕は愛と死の表裏一体、同一性をついつい思ってしまう)。
(しかし自死は誰が何と言おうと駄目だ。自分から逃げてはならない)

ベートーヴェン:
・「エグモント」序曲作品84
・交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団(1989.10.18Live)

35年前のサントリーホール。
この日、この会場に居合わせることができた人は幸せだ。
蕎麦を黙々と刈りながら僕の心は遠く古の日のかのホールにあった。もちろん想像の上なのだが。

大晶ファームでは、奇しくも平成元年前後の頃の話題がたくさんあった。
偶然だが、ちょうどこの頃だ。やはりすべては天の按配の中にある。

ケーゲル指揮ドレスデン・フィル ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」ほか(1989.10.18Live) フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」(1952.11録音) フルトヴェングラーの「田園」交響曲(SACDハイブリッド盤) フルトヴェングラーの「田園」交響曲(SACDハイブリッド盤)

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