モーツァルトはモーツァルト

今月の「古典音楽講座」のお題は「モーツァルトの陰陽」。
何百という楽曲を残したモーツァルトの名曲群をほんの数時間で料理しようというのだからある意味無謀な挑戦というか冒険というか・・・。どの曲をどういう風にとりあげ、細かい内容をどうするかなどと考えていると今から頭が痛い。

ところで、専門的に音楽を勉強していない方々でも長調、短調という言葉は聞いたことがあるだろう。簡単に言えば、「明るい調子」または「暗い調子」という曲想を表現する「調性」のことをいう。
モーツァルトの場合、その楽曲のほとんどは長調、つまり「明るく朗らかに」書かれているのだが、時折思い出したように創り出された短調作品に途轍もない名曲、絶品が多いのも事実。世間には、「暗いモーツァルトはモーツァルトでない」という人もあれば、「憂えるモーツァルトこそ人間モーツァルトの機微を表現しているのだ」と返す人もいる。どちらが良いとか悪いとかは聴く側個々の好みの問題なので何とも言及できないが、いずれにしろモーツァルトはモーツァルト。その時その日の気分に合わせて聴けばとても楽しい。

そういう僕自身はどちらかというとネクラな性格なのか「短調のモーツァルト」が好きだ。短調のモーツァルトには、彼の心の裏に隠された「シリアスで激情的な何か」が垣間見えるのだ。語弊のある言い方だが、長調のモーツァルトが童心に還った純粋さと悪戯心を表現しているのに対し、短調のモーツァルトは、時にはひねくれ、落ち込んだり、時には枯れた味わいを表出したりという大人の味わいを持っているとでも言えるだろうか。彼の作品の中には、人間が人生の中で経験する喜怒哀楽含めた全てが表現されているということだ。

モーツァルト:フルート四重奏曲ニ長調K.285
ペーター=ルーカス・グラーフ(フルート)
カルミナ・トリオ

「僕は耐え難い楽器(=フルート)のために作曲させられる時には、すぐ頭がぼけてしまうのです」(1778年2月14日付父宛の書簡)
これはこの楽曲が作曲された直後父に宛てた手紙の一部なのだが、その言葉とは裏腹に当時21歳の青年モーツァルトらしい愉悦感に溢れた傑作に仕上がっている。調性云々は別問題。やはり、モーツァルトはモーツァルトだ。

⇒旧ブログへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む