トスカニーニ指揮NBC響 シューマン 交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(1949.11.12録音)ほか

そのうえ私は書きたいのです。義務は別として私の過去を書きたいのです。私の過去は私だけの経験だから、私だけの所有といってもさしつかえないでしょう。それを人に与えないで死ぬのは、惜しいとも言われるでしょう。私にも多少そんな心持ちがあります。ただし受け入れることのできない人に与えるくらいなら、私はむしろ私の経験を私の生命とともに葬ったほうがいいと思います。じっさいここにあなたという一人の男が存在していないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にはならないですんだでしょう。私は何千万といる日本人のうちで、ただあなただけに、私の過去を物語りたいのです。あなたはまじめだから。あなたはまじめに人生そのものから生きた教訓を得たいと言ったから。
夏目漱石「こころ」(角川文庫)P159-160

僕は、大人になって初めて「こころ」の意味と意義がわかった。
自身の我(エゴ)に向き合った漱石の、陰陽二元世界の矛盾をひもとく「こころ」は、まさに「忄」からひん曲がった「心」を描く。
ところで、夏目漱石が生まれたのは、1867年2月9日(慶応3年1月5日)のことだ。
また、亡くなったのは1916(大正5)年12月9日だ。
(絶筆「明暗」の原稿用紙を机上に広げたまま)

アルトゥーロ・トスカニーニは、1867年3月25日、イタリア北部の町パルマに生まれた。
(漱石の誕生から1ヶ月半後である)

赤ん坊のアルトゥーロは母乳で育てられたが、やせて虚弱でよく病気になった。病弱のため、離乳後にスープと粥の厳しいダイエットをさせられた。或る日、彼は、テーブルのオリーブ油に漬けた豆の皿を見て指さした。「それは勘弁してよ!」と、叔母の一人が言った。しかし、モンターニの祖母は、「あの子が豆を欲しいなら、やりなさい。死んでしまうのだから、幸せにしてやった方がいいよ」と答えた。ほとんど直ちに、彼の健康は回復し始めた。
ハーヴィー・サックス/神澤俊介訳「トスカニーニ 良心の音楽家(上)」(アルファベータブックス)P34

幼少時のちょっとした出来事は、人の人生を変える。
世界のトスカニーニも人の子だった。

意外に(?)トスカニーニのシューマンが良い。
いや、ウェーバーだって絶品だ。
とどのつまり、イタリア・オペラ以上に独墺系の作品を振らせれば、灼熱の音楽によって聴く者の心を溶かすほどの力を持っているということだ。

トスカニーニは原典主義者だといわれた。
しかし、実際のところはそうではない。楽譜の改変など当たり前のようにやっているのだ。
その事実からひどい改竄主義者だという輩もあるが、そもそも形のない音楽を後世に残すために、あるいは第三者が再現できるように準備したものが楽譜ゆえ、本来ならばその譜面から何を感じ、どう解釈するかは指揮者や演奏家の力量にかかっているのだといっても良い。ジャズを含めたポピュラー音楽は奏者の解釈力に拠っているところが大きいが、なぜかクラシック音楽の世界では楽譜に忠実であることが求められるのが(昔から)不思議でならない。

ロベルト・シューマンに震えた。
彼にしては明朗で拡がりのある交響曲が、トスカニーニによって実に見事に再現され、解放感をもって、熱過ぎず、ほど良い熱量で僕たちの心に迫るのである。

シューマン:
・交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(1949.11.12録音)
・「マンフレッド」序曲作品115(1946.11.11録音)
ウェーバー:
・歌劇「オイリアンテ」序曲(1951.10.29録音)
・歌劇「魔弾の射手」序曲(1952.1.3録音)
・歌劇「オベロン」序曲(1952.8.5録音)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団

フロレスタンとオイゼビウス。
同じく二元世界の苦悩を描く芸術の神秘を、直線的に謳うトスカニーニのシューマンにあるのは陽気だ。一方、「マンフレッド」序曲における陰気は、内からうねりを上げるエネルギーによって昇華される。「ライン」と「マンフレッド」はコインの裏表のようだ。

フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル ハイドン 交響曲第94番ト長調Hob.I:94「驚愕」(1951.1録音)ほか

ウェーバーの序曲も素晴らしい。
中でも「オイリアンテ」序曲が逸品!(筋肉質で、溌剌とした音楽!)

フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル ワーグナー 歌劇「ローエングリン」第1幕前奏曲(1954.3.4録音)ほか

すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、そのあとに生き残っているのは畢竟時勢遅れだという感じがはげしく私の胸を打ちました。私はあからさまに妻にそう言いました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死でもしたらよかろうとからかいました。
夏目漱石「こころ」(角川文庫)P298

時代とともに常識は大きく変わる。
わずか100年ほど前の日本は、そんな日本だった。

夏目漱石の109回目の忌日に、トスカニーニのシューマンを。
時代は変われど、決して古びないトスカニーニの音楽を。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む