バルシャイ指揮ケルン放送響 ショスタコーヴィチ 交響曲第3番変ホ長調作品20「メーデー」(1994.9.30-10.3録音)

1924年のレーニンの死とともに作曲家の道を歩き出したショスタコーヴィチだが、スターリン権力の確立までの数年間、彼は、国家からの要請に自らの自由意思をたくみに重ねあわせながら革命を賛美する交響曲を書いた。それがいかに有無をいわさぬ要請であったとしても、ソヴィエト国家が将来おかすことになる罪に対し、責任を免れることができない。もっとも、責任があるということと有罪であるということは根本において意味が異なる。
交響曲第3番「メーデー」は、ショスタコーヴィチの自発的な意思で作曲された。その意味で公的な制約を受けていたわけではない。にもかかわらず、この交響曲は、作曲家自身の強さと弱さが同居する作品となった。革命は一つの理想としてある。だが、革命がもとめる芸術は、必ずしも彼の資質と合致していない。革命に対する同意は、エイゼンシテインと同じように、切断やモンタージュという手法によってしか客体化できない。おそらくこの思いが、ショスタコーヴィチを、第2番から第3番の作曲へと突き動かした力だったのではないか。

亀山郁夫「ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光」(岩波書店)P91

亀山郁夫さんの言葉に膝を打った。
どちらかというと権力に迎合した要素が強いように僕はずっと思っていた。
だからだろうか、決して好きになれなかった交響曲でもある。
しかし、あくまでこれがショスタコーヴィチ本人の意思から生み出されたものであるとするなら興味深くもある。
あらためて「メーデー」を。

バルシャイ指揮ケルン放送響 ショスタコーヴィチ 交響曲第3番変ホ長調作品20「メーデー」(1994.9.30-10.3録音)

当時は、彼もソヴィエト連邦の未来を信じていた。
プロレタリアートの未来と能力を信じていたのである。
だからこそこの音楽には、まるで後の社会主義リアリズムに対応せんとするような要素が見受けられる。

言いのがれを許さない、という意味で歌詞つきの音楽は時としては致命的となる。
~同上書P89

言葉ほど具体的なように見えて曖昧な道具はない。
10人いれば10通りの解釈があり、そこに誤解を招く要素が言葉にあるのである。
あくまで読み手の解釈力に因るが、読み手に解釈されたそのことがその人にとって真実になるという点が恐ろしい。

友人の作曲家シェバリーンによると、当時、ショスタコーヴィチは、「一つとしてテーマが繰り返されることのない交響曲」を書きたいと念じ、その試みに没頭していたという。この回想は貴重である。問題なのは、革命記念日にしろ、メーデーにしろ、年に一度の、それ自体、永遠回帰的である祝祭に対し、非回帰的な音楽を対置しようとする企てである。少し先走った言い方になるが、その理念はどこかトロツキーの永久革命論に通じている。非回帰的であるということは、それ自体、無限の宇宙へ、得体のしれない未来へ乗り出そうという決意の表明となる。
~同上書P93

何にせよショスタコーヴィチの思考においては、少なくとも当時は束縛のない、制約のない、自由自在の創造こそが鍵だった。

・ショスタコーヴィチ:交響曲第3番変ホ長調作品20「メーデー」
ケルン放送交響合唱団
ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送交響楽団(1994.9.30-10.3録音)

バルシャイの、ショスタコーヴィチの心を明瞭に映し出す、その指揮ぶりがやっぱり美しい。
ここには一切の偽りのない、等身大のショスタコーヴィチがある。
単一楽章の交響曲には、後の主な楽想がすでに表れており、実に面白く聴ける。

ある種、「皆大歓喜」を表現せんとする祝祭的気分は、あくまで人間的なものだが、ショスタコーヴィチが目指した「無限の宇宙」規模をしっかりと映し出した音楽は、ソヴィエトを、労働者讃歌を超えたものだけれど、確かに、最後の合唱部分において、言葉による限定が些か興覚めに陥ってしまうのもわかる。
(この際、理解できないロシア語であることを理由に無視するが良い)

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