
ベートーヴェンは、生涯にわたって物語に音楽を付す創作活動を続けていた。
オペラひとつとっても、残されたものが「フィデリオ」一作ゆえ、そのジャンルについては寡作のイメージがあるが、決してそうではない。物語に感化された彼は、傑作を生み出さんと常に挑戦し続けていたのである。
これらには劇音楽に対するベートーヴェンの共通した姿勢が見て取れる。すなわち、歌詞に対する強い拘りであって、信念を持った闘争、それを経ての勝利といったことに対する強い共感、そして英雄的物語への共鳴、である。コツェブーに書いたように、「ロマンティックで」「すこぶる真面目で」「英雄的かつ喜劇的」であることだ。喜劇的とはコメディーという意味ではなく、結末が悲劇ではない、ハッピーエンドということである。かつ「センチメンタル」であること、これもまた感傷的ではなくして、心に訴えるものという意味である。そして彼にとってベストなのは歴史から取られた大きな題材であった。
~大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P261-262
ベートーヴェンの思考の片鱗がよくわかる論だ。
ベートーヴェンは言葉、すなわち「ロゴス」を大切にした人だった。
それはまた、「真理」を重要視した人だということにもなる。
さらには、彼にとってすべてはハッピーエンドしかなかった点も見逃せない。
まさにベートーヴェンが「楽聖」と呼ばれた所以もこういうところにあろう。
ベートーヴェンは4連続コンサートの終了を待たず、宮廷劇場詩人トライチュケに台本の改訂を依頼し、再改訂に乗り出した。そして《レオノーレ》は《フィデリオ》となって、1814年5月23日にケルンテン門劇場で初演を迎える。2日目の26日の上演から、舞台はもうひとつの宮廷劇場であるブルク劇場に移された。その事実は私が指摘するまでベートーヴェン研究において気づかれなかったが、劇場移動の理由は拙著で詳述(『再構築』第29章3.)したので、ここでは割愛する。
《フィデリオ》はその後、翌年末まで32回の公演を重ねていく。9月末から開催されているヴィーン会議期間中には、各国の王侯貴族が観劇する機会も設けられた。その結果、ベートーヴェンのオペラ作曲家としての名声は全ヨーロッパ的に高まる。ライプツィヒの『総合音楽新聞』は1815年5月24日付から巻頭記事で6回にわたって、毎回8ページにおよぶベートーヴェン礼賛の特集を組み、彼を「音楽のシェイクスピア」と讃えた。
~同上書P255-256
すべてに縁と時期があることを忘れてはならない。
(それを「運」という言葉で片付けるべきではない)
(正しいものは必ず花開くのだ)
賛否両論ある中、歌劇「フィデリオ」(あるいは「レオノーレ」)はベートーヴェンの傑作のひとつだと常々僕は思ってきた。物語の骨格となるレオノーレの愛のあり方は、「ロマンティックで」「すこぶる真面目で」「英雄的かつ喜劇的」であり、そこに付された音楽も素晴らしいからだ。
愚直で、ただただ純粋に音楽に奉仕せんとした二人の巨匠の「フィデリオ」(抜粋)を聴いた。
マタチッチ指揮フランクフルト市立劇場管の歌劇「フィデリオ」(抜粋)(1959録音)を聴いて思ふ どういうわけか序曲は編集によって短縮されている。(かなり違和感があるが)
また、壮年期のマタチッチの指揮が意外に溌剌としていて、しかもスケールが大きいので実に充実感がある。(できれば全曲を聴きたいところだ)
歌手陣では、第2幕でのサージのフロレスタンのレチタティーヴォとアリア、そして、第1幕でのシリアのレオノーレのレチタティーヴォとアリアがやっぱり素晴らしい。

そして、マタチッチから一世代ほど後に昭和女子大学人見記念講堂でコンサート形式にて上演された朝比奈隆の「フィデリオ」も抜粋ながらいかにも御大らしい無骨な響きがかえってベートーヴェンの真摯な思いを表現し切っており、久しぶりに聴いて感動した。
指揮者外山雄三の全面的な協力を得ての実現となった朝比奈隆の「フィデリオ」は、全曲のリリースでないことが何とも隔靴掻痒だが、少なくとも3曲演奏された序曲がすべて収録されているのは素敵だ。
(当時の朝比奈人気は壮絶なものがあり、この公演のチケットを押さえることができず、涙を飲んだことが昨日のことのようだ)
(実演に触れたかった)
朝比奈隆指揮新日本フィルのベートーヴェン「フィデリオ」抜粋(1994.11&12Live)を聴いて思ふ 個人的には「レオノーレ」序曲第2番作品72aの、粗削りながら、いかにも朝比奈隆という重低音の効いた堂々たる演奏に止めを刺す。
