
「月下の一群」を読む。(「読む」というより「感じる」といった方が正しかろう)
僕が訳詩集『月下の一群』の初版を世に問うたのは1925年9月だが、内容の訳詩はそれに先んずる十数年間の筆のすさびになる。僕は今、筆のすさびと書いたが、これは決して洒落た文章のあやではない。この集に収められたフランス近代詩人六十六家の作品三百四十篇の訳詩は、すべて文字どおり、つれづれの筆のすさびになったものだったのだ。求められて訳したもの、目的があって訳したものは、只の一篇もないのである。何のあてもなく、ただ訳してこれを国語に移しかえる快楽の故にのみなされたものだった。後日、集大成して一巻の書にまとめるなぞという考えは毛頭なかった。ましてや秩序あるフランス近代詩の詞華集を作り上げようなぞという野心をやである。
(白水社版訳者のあとがき)
~堀口大學「月下の一群」(講談社文芸文庫)P599
「すさび」とは「気まぐれ」ということだが、その「気ままな」スタイルことが、名作を生むのだろうと思う。そこには執らわれもなければ、一切の我欲が存在しない。
私は私の孤寂の上に
いつはりの微笑を浮べながら
私の内に歌ふ
死ぬ程さびしいアダヂオにきき入る。
唯ひとつの恋を失つた悲みを
何ものも慰め得ないことは私も知つてゐる
然し仕方もないことだ!
お前は若かつた、陽気だった
さうして私たちは毎日二人で暮らしたのだ。
「黄昏」ギイ・シャルル・クロス
~同上書P169
まるで最晩年のヨハネス・ブラームスの心境を歌うような詩だ。
(果たして巨匠は、愛するクララとどこまでの関係だったのだろう)
(果たしてこのアダジオは何の曲か?)
詩人・堀口大學は1892(明治25)年の今日、東京市本郷区で生まれた。
それは、ちょうどヨハネスが、リヒャルト・ミュールフェルトの演奏に感銘を受け、立て続けにクラリネットのための作品を生み出した頃だ。
(公開初演は、1891年12月10日にベルリンにて、ウィーン初演は1892年1月5日のこと)
コンツェルトハウスはモーツァルト・ザールでの録音。
この名盤の刷り込みは、他のどんな演奏も受け付けなくなっているくらい僕にとって大きい。40余年前、中野区のアパートの一室で深夜に一人静かに聴き込んだウェストミンスターのアナログ・レコードの音が懐かしい。
(死ぬ程さびしいアダヂオにきき入った)
一方、実演においては、30余年前、今はなきカザルス・ホールで聴いたアマデウス・アンサンブル(+澤クヮルテットのメンバー)による感動が今でも僕の中で新しい。
忘れよとや?
赦せとや?
誰か忘れ、誰か赦さん?
女なら忘れもしよう、
神ならば赦しも出来よう、
さるをわれは男、われは男。
「男ごころ」ギイ・シャルル・クロス
~同上書P164
男の妙な、変ちくりんなプライドなり。
