ハスキル シューマン 子どもの情景 作品15(1955.5録音)ほか

ロベルト・シューマンの箴言。

いわゆる大演奏家はよくやんやと喝采されるが、あれをみて、思いちがいしないように、みんなが、大衆の喝采より、芸術家の喝采を重んじるようだといいと思う。
どんな流行も、結局流行遅れになる。年寄りになってもそれを続けていると、時代おくれとして、誰にも尊敬されなくなる。
人の集ったところで、何度もひくことは、益よりも害が多い。人にみられるのはかまわないが、自分の内心に省みて、はずかしいような曲は、決してひかないように。
しかし、他の人々とあわせて二重奏や三重奏等をする機会があったら、決してのがさないように。人とあわせると、演奏が流暢に、達者になる。歌を歌う人の伴奏も、いつもするように。

「音楽の座右銘」
シューマン著/吉田秀和訳「音楽と音楽家」(岩波文庫)P233

とてもわかりやすい忠言だと思う。大事なことは内省と他者との切磋琢磨だろう。
音楽に限らず何事もそうだ。

クララ・ハスキルを聴いた。
古い録音ながら、ハスキルの自然体がそこにはあった。

偉大なピアノ演奏は言葉では言い表せない。
その偉大さは、言葉がほとんど通じないほど繊細なものだ。クララ・ハスキルくらい、そのことが如実に表れている人はいない。彼女の繊細さ、洗練、そして、一見無限とも思えるピアノ・コントロールは、モーツァルトやショパンに匹敵するほどだったかもしれない。その証拠は、この重要で啓発的なセット全体を通して(必ずしも一貫しているわけではないものの)繰り返し現れている。演奏そのものが究極的に筆舌に尽くしがたいとしても、聴き手への影響はそうではない。もちろんハスキルへの讃辞は、ありきたりでありながら真摯な決まり文句で満ちている。「壮麗」「輝かしい」「スリリング」「うっとりするほど」「忘れ難い」「絶妙」といった言葉が、実に様々なピアニストに対して用いられてきた。しかし、ハスキルへのそれはまったく非凡だ。偉大なピアニストたちも、「完璧なクララ・ハスキル」(ルドルフ・ゼルキン)、「ピアノの聖人」(ヨアヒム・カイザー)、「地上の完璧さの総体」(ディヌ・リパッティ)などの言葉を並べている。

(ジェレミー・シープマン)

ハスキルの真価は録音では伝わりにくいものなんだと想像する。ゼルキンやリパッティがそこまで太鼓判を押すならそれは本物だ。(実演を聴いてみたかった)

・シューマン:子どもの情景 作品15(1955.5録音)
・シューマン:森の情景 作品82(1954.5録音)
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31-2「テンペスト」(1955.5録音)
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調作品31-3(1955.5録音)
クララ・ハスキル(ピアノ)

ベートーヴェンの作品31の2曲は、後年再録音を果たしているが、この旧い方の録音も解釈の基本ラインは変わらない。録音が新しい分、新盤を採れば十分だと思うが、より自然体であり、生気あるのがこちらの録音だと僕は思う(本人は気に入らなくて再録しているようだが)。

ハスキル シューベルト ピアノ・ソナタ第21番D960(1951.6録音)ほか 立冬、ハスキルの「テンペスト」 立冬、ハスキルの「テンペスト」

重要なるはロベルト・シューマンの2曲。
特に「子どもの情景」に見る可憐さ。軽快というより、音楽の背面にある心理、そこには懐かしさがあり、たくさんの想い出が詰まっている。

ハスキルが初めてレコーディングしたのは40歳のとき。彼女は52歳で初めて正式なレコーディング契約を結んだ。もしそれ以前に亡くなっていたら、私たちは彼女のことを知らなかったかもしれない。彼女の揺るぎない名声は、人生の最後の15年間に成ったものであり、それによってハスキルは戸惑いながらも生ける伝説になったのだ。
(ハスキルは自身の演奏のほとんどに満足していなかったことで有名で、それが彼女の録音レパートリーの重複の多さの一因になっている)

(ジェレミー・シープマン)

大器晩成の人。彼女にとって完璧という言葉はなかったのだろう。

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