立冬、ハスキルの「テンペスト」

beethoven_tempest_haskil.jpg雲ひとつない快晴の午後、ぶらりと新宿近辺を散策する。立冬というが、何だか春間近のような陽気を漂わせ、道往く人も気のせいか上着を肩にかけ、暖かい空気を楽しんでいるかのよう。とはいえ、陽が落ち、辺りが暗くなると寒さが増し、あぁ、やっぱり気のせいだったんだと実感させられる。
この時期になると、年賀状が発売されるということも手伝って、気が早い僕はもう年末年始モードに入り、妙に忙しい気分になってしまう。振り返るとこの1年は公私共に「大変化」の年。齢44にして「やっと一人前の入口に立った」という感覚がつかめたようにも思う(それは、どちらかというと人間教育という「仕事」をしていく上でとても顕著に感じる感覚なのだが)。

「責任」の罠:責任が重くなるにつれ、「使命ではなく自分に意識を集中してしまう」という落とし穴。要は「我に入る」という状態。

ジョセフ・ジャウォースキーは「責任」の罠というものについて上記のように言及するが、それは「不安」を持ったときに誰もが陥る罠でもあると思う。実際、昨年の僕自身はその罠についついはまりそうになり、もがいていた。
それに、特定のある人がいないとプロジェクトは成功しないと思い込んでしまうという落とし穴も同時に僕は体験した。ジャウォースキーのいう「依存」の罠というやつだ。これは、力不足だとか自分には価値がないという思い込みから生じるものだと彼は言うが、自信をもてない時、人は誰でもそういう状態に陥ってしまうものだろう。

しっかりと軸を定め、自分自身の二本の足で歩き始めた途端、不思議なことに周りの状況は一変する。まさに「やらなければならないことを何か目に見えない力によってやらされるかのように」物事は進んでいくのである。

身をもって体験したことをもとに、セミナーでは「自分軸をしっかりさせ、意識を外に向ける」ことが「自己受容」のスイッチを入れる大きなポイントであることをお伝えしている。何事も経験。そして「依存」することなく「自律的」に生きることが大切だ。

今日は朝からベートーヴェンの「テンペスト」三昧。
まずは、グレン・グールド。そして、スヴャトスラフ・リヒテルクララ・ハスキルスティーヴン・コヴァセヴィチバイロン・ジャニスマウリツィオ・ポリーニヴィルヘルム・バックハウスと続く。「テンペスト」に関してはハイドシェックの「宇和島ライブ」はもちろんのこと、何度も聴いた彼の実演が耳にこびりついていて、他は「気の抜けたビール」のようで聴く気がしないという偏見を持っていた。ところが、故あってこうやって意識的に並べて聴いてみると、さすがに名を成した芸術家たちだけあり、解釈や演奏スタイルが各人様々で面白いものだ。聴き比べの妙味ここにあり。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31-2「テンペスト」
クララ・ハスキル(ピアノ)

中でも大発見はクララ・ハスキルの「テンペスト」!ハスキル最晩年、死の3ヶ月前の奇跡的な録音。これは良い。久しぶりに「テンペスト」でワクワクした。心地の良いテンポ感と、不思議な若々しさ、そして何より不自然さの全くない「等身大のベートーヴェン」が聴ける好演。

⇒旧ブログへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む