
イングマール・ベルイマンの言葉。
自らに確信があっての大いなる箴言と言えまいか。
■昔、あなたは、皆があなたの映画を利用することについて「もしかするとそれがあなたの魂の中の光になり、少しは状況を変えてゆくことを希望します」と言っておいででした。—今でもそう言われますか?
そう言ってもいいと思います。
もしも私のすべての映画の中のたった一本でも、たった一度だけでも、たった一人の人間でも、その作品からその人の人生のために—日常生活のためでも、将来の生き方のためでも、何かを得てくれれば、それこそ最善ではないでしょうか?
私は幸福に思うでしょう。
それが、私の映画を利用して欲しいという理由のすべてです。
もし皆が私の映画を利用してくれれば、私の映画を見て怒ろうと、攻撃しようと、批判しようと、私は一向に構いません。しかし、もし観客が私の映画に心情的に賛同してくれるなら、そのこと一つが、私にとっては真に真に大切なものなのです。
~ウィリアム・ジョーンズ編/三木宮彦訳「ベルイマンは語る」(青土社)P235-236
ベルイマンの締めのこの言葉がすべてを物語っているように僕は思う。
芸術家は、たった一人でも必要とする人に作品が届けばそれで本望なのである。
モーツァルトの本音。1778年、旅先のマンハイムよりザルツブルクの父宛の手紙が興味深い。
ぼくがあの人たちと一緒にパリに行かない主な理由は、前便でもう申し上げました。第二の理由は、ぼくがパリで何をすることになるかをじっくり考えたからです。ぼくは弟子を取らなければ、どうしてもやって行けないでしょう。ところがそんな仕事には、ぼくは向いていません。ここに生きた例があります。ぼくは弟子を二人持てるはずでした。どちらにも三度行きました。次に行ったら一人は不在でした。だからぼくはもう行きません。好意からなら、ぼくは喜んでレッスンをしてやります。とくに、天分があって喜んで勉強する気がある人だと分かれば。しかし定まった時間にどこかの家へ行かなければならないとか、うちでだれかを待っていなければならないとかは、ぼくにはできないことです—たとえいくら沢山お金が入っても。ぼくにはどうしてもできません。そんなことは、ピアノを弾くことしかできない人にまかせます。ぼくは作曲家で、楽長に生まれついたのです。ぼくはやさしい神さまがこんなに豊かに授けて下さった作曲の才能(高慢でなくこう言っていいと思います。今ほどそれを感じている時はありませんから)それを埋もらせてはいけませんし、またそんなことはできもしません。そして沢山の生徒を持てば、そんなことになってしまいます。教えるというのはひどくおちつかない職業ですから。ぼくはむしろ作曲を主にして、ピアノをいわばおろそかにしたいくらいです。じっさいピアノはぼくの片手間の仕事にすぎません。とは言っても、ありがたいことにたいへん強力な片手間仕事ですが。
(1778年2月7日付、ヴォルフガングから父レオポルト宛)
~柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(上)」(岩波文庫)P119-120
こちらもまた自らに確信があっての大いなる箴言である。
明と暗の相対。
K.301とK.304は、就職活動のため、母と訪れたマンハイムで書き始められたもののようだ。パリで完成されたK.304は、直後に亡くなる母の死の予感(そして悲しみ)を胸に生み出されたそう。
(ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310/300dと同時期の作曲)
グリュミオーとハスキルのデュオには、そのときのモーツァルトの心情が見事に音化され、二人は相対を見事に描き分ける。喜びと悲しみはまるで表裏一体のようだ。
なるほど、宇宙の法則は確かにその通りだ。
個が発露する心情の根底に流れるのは、智慧であり、また慈しみだ。
晩年のハスキルの弾くピアノにはモーツァルトへの愛が大いに刻印される。
彼女はグリュミオーに触発され、感じに感じ入っている。
何と美しい音楽であることか。
22歳のヴォルフガングもまた誰かに何かを伝えたくて、そして何かを得てもらうために、あるいは誰かに心情的に賛同してもらうために作曲していたのだろう。
