ボールト指揮ロンドン・フィルのパリー交響曲第5番を聴いて思ふ

parry_symphony5_boult132あまりに神々しいアンブロジアン・シンガーズによる聖歌「エルサレム」(ハリー・ラビノヴィッツ編曲)。ウィリアム・ブレイクの詩が心に響く。

私は魂の闘争をやめはしない
剣が手中で眠ることもない
イングランドの緑と喜びの大地に
聖地エルサレムを築くまでは

僕の最初の「エルサレム」体験は、エマーソン・レイク&パーマーの「恐怖の頭脳改革」所収のロック・アレンジ版による。軽快かつ熱狂的なキース・エマーソンのキーボード・プレイとカール・パーマーの怒涛のドラム・プレイに歓喜を感じながらも、最も感化されたのはグレッグ・レイクのエコーのかかった歌。今聴いてもその新鮮さは失われていない。

ところで、「エルサレム」は、ヒューバート・パリーが1918年にブレイクの件の詩に曲を付したものだが、随分長い間そのことを知らずに僕はいた。
英国はエドワード・エルガーの登場まで実に数世紀の間音楽芸術的には不毛の地であったとよくいわれるが、そのエルガーに影響を与えたであろうパリーこそ英国音楽芸術の扉を再度開いた人であると僕は思っている。

ヒューバート・パリーにとっての模範はヨハネス・ブラームスであったが、彼の作品はブラームス以上に浪漫的で、しかもブラームスほど内向的ではなく、実に外向的、開放的であることが特長。

心の師と仰ぐブラームスの死に際して生み出された「ブラームスへの哀歌」。クライマックスを迎えた後の、緩やかで静謐な調べこそパリーのブラームスへの愛。悲しき音楽だが、悲しみよりも「尊敬の念」に溢れる鎮魂曲。

パリー:
・交響曲第5番ロ短調「交響的幻想曲1912年」(1978.10.4, 9&19, 12.10録音)
・恵みを受けし二人のセイレーン(1966.12.21-23録音)
・交響的変奏曲ホ短調(1978.10.4, 9&19, 12.10録音)
・ブラームスへの哀歌(1978.10.4, 9&19, 12.10録音)
ロンドン・フィルハーモニー合唱団
サー・エイドリアン・ボールト指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

同じく1897年に生み出された「交響的変奏曲」の、そこから湧き出づる愉悦的響きにパリーの真骨頂を想う。ブラームスの得意とした変奏曲という形式に則っての何という優雅で美しい音楽であることか。
そして、一層素晴らしいのが交響曲第5番。これは、エルガーの作品を髣髴とさせる(エルガーの名作にも匹敵する)、とはいえパリー独自の方法で編み出された全楽章アタッカで続けて奏される傑作だが、これこそ空間と時間の芸術である音楽を、人の生と死になぞらえて創られたものであると僕は確信する。

第1楽章「ストレス」は、作曲者の苦悩。しかし、その「苦悩」も続く第2楽章「愛」の安寧によって難なく回避される。第3楽章「プレイ」は、言葉通り、人生が悦びに満ちた遊びであることを示す。そして、終楽章はまさに「今ここ」。

ボールト卿のパリーへの尊崇の念が刻印される名盤。

 

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