最期の輝き

ヴィルヘルム・バックハウスという往年の名ピアニストがいる。
若い頃、「鍵盤の獅子王」と称されるほど激しい演奏をしていたらしいが、昨今一般的によく聴かれる音源は晩年のもので、どちらかというと堅牢で骨太なイメージを喚起する。ベートーヴェンやブラームスドイツ古典音楽にはぴったりの演奏スタイルである。
僕が彼の演奏を始めて知ったのは確か1980年、モーツァルトのソナタ集というLPを通してだったと記憶している。バックハウス特有のモーツァルトらしからぬゴツゴツした男性的な演奏なのだが、繰り返し聴いたお陰でモーツァルトのソナタといえば彼の演奏が耳からこびりついて離れないほどになってしまっている。

バックハウスは1969年の7月に亡くなるのだが、まさにその1週間前まで音楽祭に出演しており、その「最後の演奏会」の音源がレコード化されている。初日にはベートーヴェンのワルトシュタイン・ソナタやモーツァルトのK.331、そしてシューベルトなどが演奏されているが、テクニックの衰えは残念ながら隠せない。
また、2日目にはベートーヴェンのソナタ18番の途中で心臓発作を起こし、第3楽章終了後聴衆に挨拶し控室に引っ込んでしまうというハプニングも完全に収録されている。
数十分の休憩後、当初のプログラムは急遽変更され、そしてシューマンの「夕べに」と「なぜに」が演奏された。これが彼のまさしく「最後の演奏」!!
こんなに哀しく清澄な調べがほかにあるだろうか・・・
涙なしには聴けない。

ヴィルヘルム・バックハウス:最後の演奏会

バックハウスは生涯現役を通した。音楽家に限らずそういう気概を持った人々は美しい。そして僕もそうありたいと願う。

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1 COMMENT

アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » 徳と自分の芸術のお陰だ

[…] 作品31-3を聴くと、例の「最後の演奏会」での終楽章まで至らなかった、息も絶え絶えになりながらの演奏を思い出す。あれは、僕が最初に耳にしたバックハウスのベートーヴェンだった(同収録の「ワルトシュタイン」とともに)。それゆえに、曲調はそんなでもないのに、バックハウスのもので聴くとついつい「哀しみ」を覚えてしまう。 白眉は「田園」ソナタ。冒頭の主題から沁みる。自然と宇宙とひとつになったベートーヴェンの魂を朴訥に音化するそのスキルと精神性に畏怖の念を覚える。 […]

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