
クレメンス・クラウス指揮ウィーン・フィルの実況録音の前年、トスカニーニがBBC響を指揮した「ミサ・ソレムニス」がことのほか素晴らしい。
何よりこの時代にして録音が鮮明で、十分に鑑賞に堪え得る点が有難い。
1939年5月は、同年9月の第二次世界大戦勃発へと向かう国際情勢の大きな転換点となった時期。特にアジアでは大戦の前哨戦とも言われる重要な軍事衝突が発生し(いわゆるノモンハン事件)、ヨーロッパでは軍事同盟が結ばれ緊張が極限に達していた。
5月11日、満州国とモンゴル人民共和国の国境地帯であるノモンハンで日ソの武力衝突が発生した。大日本帝国は敗北を喫すが、これが第二次世界大戦における日本の動向を決定づけたといわれる。
一方、欧州では5月22日、ナチス・ドイツとイタリア王国との間で「鋼鉄同盟(独伊軍事同盟条約)」が調印された。これによって、両国はどちらかが戦争に突入した際の相互援助を約束し、欧州での戦争勃発の危機がいよいよ現実味を帯びることになったのである。
先行き不透明な不穏な時代にあって(違った意味で現代と同様の状況だともいえる)、英国楽旅中のトスカニーニは何を思ったか。
そして、どういう心持ちで「ミサ・ソレムニス」を指揮したか。
壮絶だが、落着いた、静けさを獲得した名演奏。
また、静かでありながら、トスカニーニらしい灼熱は、キリエから感じられる。
あるいは、グローリア(合唱の絶唱!!)からクレドに至る過程の中で、集中力は一層増して行く。
トスカニーニの「ミサ・ソレムニス」の解釈は、ロンドン音楽界に感銘と同時に衝撃を与えた。例えば、タイムズ紙の批評家は、1939年5月27日付の記事で、ベートーヴェンがミサ曲で声楽を交響曲的に扱っていることを認めつつ次のように付け加えている。「多くの指揮者がその過剰さを和らげようと試み、それによって聴衆は指揮者に感謝してきた。トスカニーニはそれを大いに楽しんでいるようだ。(・・・中略)(クレドにおける)「エト・ヴィタム・ヴェンチュリ」の主題の管楽器パートにはスタッカートが記されており、声楽パートは、主題の威厳をほとんど高めることなく、その指示をなぞるように演奏した。「アレグロ・コン・モト」(373小節からの第2フーガの部分)(40’46”~)に達すると、歌手たちはすっかり魅了されてしまった。ベートーヴェンが書き記したものにこれほどまでに忠実に従うことが、楽聖が思い描いたものに到達する方法なのかどうかは疑問ではある。ベートーヴェンは楽譜の中で、確かにいくつかの計算ミスを犯したに違いない!」
しかし、トスカニーニは楽譜の特異性を誇示したり、楽譜の記号に縛られるどころか、ベートーヴェンの音楽的概念と感情に対して、言語を絶する扱いをするという挑戦をしただけだった。ミサ・ソレムニスは、単なる典礼的な作品ではなく、複雑で抽象的な音楽的象徴を通して語られる人道主義的な精神的探究なのである。テクスチャーは透明であっても、その内容はとても濃密ゆえ音楽の完璧な再現はほぼ不可能だ。トスカニーニはそのことをわかっていたが、演奏を続け、他の指揮者がほぼ到達できない境域に達したのである。
(ハーヴィー・サックス)
~BBCL 4016-2
当時から、トスカニーニのベートーヴェがいかに特別なものであったか。
英国民のすべてが待ち侘びたベートーヴェンが目前で奏されたのだった。
特に、サンクトゥス以降の祈りは、トスカニーニの真面目。
そして、アニュス・デイでのトルボルイの沈痛たる歌唱とミラノフの天高く昇るような歌、また清澄なパタキーと心に染みわたるモスコーナとの絡みは、聴きどころのひとつだろう。(「ミゼレーレ・ノービス!!」ましてそこにBBC合唱協会による合唱が重なる瞬間のカタルシス!!!)
ベートーヴェンは、トスカニーニの意見では全作曲家で最も偉大だっただけでなく、逆境に直面しての勇気及び人類の—政治的、芸術的、そして、精神的な—自由の限りない追求の象徴でもあった。「教皇とあの年寄り達(枢機卿)は何一つ理解していない」と、トスカニーニは一度ならず叫んだ。「ベートーヴェン以上の聖人はいない」。
~ハーヴィー・サックス/神澤俊介訳「トスカニーニ 良心の音楽家(下)」(アルファベータブックス)P320
「ベートーヴェン以上の聖人はいない!」という言葉に膝を打つ。
(「楽聖」という呼称に相応しい、佛だ)
首席ヴィオラ奏者のバーナード・ショーァは、そのシリーズを10年後に振り返って、奏者達が「ベートーヴェンのまさに精神そのものに接触した」ように感じた。「指揮者の激しさと彼の容赦ない力及びリズムによって、作曲家とオーケストラの間に異質な特異性が介在すること無く、我々は壮大なチクルスを乗り切った」と、ショーァは述べている。そして、チクルス全体が「興味と力の着実なクレッシェンドとなった」。
~同上書P321
このとき、舞台では奇蹟が起こっていた。
その記録が90年近くを経た今、耳にできるのだからそれこそ奇蹟だ。
