チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル ブルックナー 交響曲第3番ニ短調(1888/89ノヴァーク版第3稿)(1987.3Live)

録音を聴く限りにおいて、セルジュ・チェリビダッケの演奏は、どの曲に対しても精緻なバランスを保持し、一方で、普通では聴くことのできない、(ともすると聴き落してしまうような)内声部をより強調した表現が特長で、それこそミケランジェロのダヴィデ像やモーゼ像ではないが、多少の人口臭はあるものの、見事な彫塑物としての威厳がある。
これは実演で聴いたら「さぞかし」というくらいの実存感があり、人工的でありながら現実的な、意思を持ったアンドロイドのような印象が常にある。
(その意味では、聴き手にとっても是非が分れるところだろう)

モントゥー指揮ロンドン響 ベートーヴェン 交響曲第5番ハ短調作品67ほか(1959.5録音)

例えば、ブルックナーの第3番。
終楽章コーダにおいて、弦楽器に、後の第7番終楽章の主題の木魂が聴こえてくるあたりは、チェリビダッケならではのバランス感覚だと思う。

一般には、晩年のブルックナー演奏の世評が高いが、録音には収まり切っていない印象がある。僕はチェリビダッケの実演を聴いていないので明解な論をここで掲げることができないのだが、曲によっては愚鈍な印象が先行し、おそらく当日の会場で耳にしていたら途轍もない感動と興奮を覚えただろうことが想像できる。

レーヴェの『第4番』改竄と並行するように、ブルックナーは『第3番』の改訂を進めていた。『第3番』は初演失敗後に書かれた第2稿が、レティヒによって78年に出版されたが、売れ行きは思わしくなかった。ブルックナーは88年夏、終楽章を除く改訂に着手するが、これにはフランツ・シャルクの意志が大きく関わっていた。マーラーはこの改訂に強く反対したが、翌年3月に『第3番』第3稿が完成する。
田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」(春秋社)P256

第3番には前衛的な初稿からいくつものカットを施した第2稿、そして晩年の方法に準拠した最終稿といくつものバージョンがあり、それがまた聴き手の興味をそそり、決して飽きさせない。

『第3番』第3稿は90年12月21日、リヒターとヴィーン・フィルによって初演され、大成功を収めた。クリスマス・イヴの「プレッセ」紙は、かつて苦杯をなめた『第3番』の復権を報じた。だが一部の聴衆のこれ見よがしな熱狂ぶりについては、こう苦言を呈している。

楽友協会ホール一階立見席の一団が、楽章ごとに巻き起こす喝采の喧しさは、筆舌に尽くし難い。これは楽匠を祝福するにふさわしい真の姿ではない。これまでまったく無視されてきたブルックナーの交響曲が、今や大喝采を浴びている。保守的な批評家は常にアントン・ブルックナーを嘲笑してきた。彼は党派性に染まった支持者たちの手に落ち、彼らはこの「寄る辺ない人」をあらゆる場面で後援してきた。だがそれは結局のところ、彼の名声を台無しにしてしまうだろう。彼の作品が演奏されるコンサート会場が、これからも選挙集会のように殺伐とし続けるなら、そうした運命がこの孤独な交響曲作家を待ち受けているのだ。
~同上書P256-257

「プレッセ」紙の論評は実に正論だ。わざとらしい、似非の「熱狂」は、今も昔も無用だといえる。熟練の方法で、音楽が格段にわかりやすくなった分、大切なものが失われてしまったことは否めないが。

・ブルックナー:交響曲第3番ニ短調(1888/89ノヴァーク版第3稿)
セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(1987.3.19&20Live)

第3番に関して、チェリビダッケの方法は、他に比較してかなり真面だ。
時間という観点から、あるいは空間という観点から、ブルックナーの正統な解釈の一つとして後世にまで残されるべき1枚だと僕は思う。

ちなみに、チェリビダッケはかつて次のように語ったそうだ。

音楽に接して長すぎるとか、短すぎるといった感じを抱けば、その人は音楽のなかに入っていない。音楽はその意味で長い短いの問題ではない。
シュテファン・ピーンドル&トーマス・オットー(著・編)/喜多尾道冬訳「私が独裁者?モーツァルトこそ!―チェリビダッケ音楽語録」(音楽之友社)

そういえば、僕は随分長い間、チェリビダッケのブルックナーを避けていた。
あの頃は、確かに「長すぎるとか、短すぎるといった感じを抱いていた」ことは事実だ。
音楽の中に入らず、是非を云々していた自分が恥ずかしくなる。

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