ドナート ゾッフェル イェルザレム リカ ミュンヘン・フィル合唱団 チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」(1989.3.17Live)

遺髪の束から、ベートーヴェンの死因を特定する研究が続けられているらしい。
ただし、髪の束そのものの真贋が取り沙汰されており、研究成果も正しいかどうか厳密には疑問も残されているという。

歴史的状況証拠を含めてみると、ワインの暴飲による鉛中毒から肝硬変というのが間違いないところだろう。シューベルトの場合の梅毒などもそうだが、当時の風習や文化など、現代社会とは異なる、僕たちの常識・知識では図れない事実に驚愕しつつも、音楽の巨匠たちが遺した音楽の普遍性を思う。

セルジュ・チェリビダッケのベートーヴェン。
ミュンヘン・フィルとの晩年のライヴ録音では第1番の欠けているのが残念だ。
第2番から第9番「合唱」までをひと通り集中して聴いてみて思うのが、フレーズの扱いと音の一つ一つに対する丁寧さが際立つことだ(特に終結の和音の鳴らし方は他にはない方法で静けさを獲得せんとする)(宙より音を紡ぎ出して、宙に還さんとする如く)。計算し、練磨し、弛まぬリハーサルによって生み出された音楽は、録音においてはやはり多少の恣意性を感じさせつつも、おそらく当日の会場での響きは示唆に富んだ格別なものであり(終演後の聴衆の歓呼と拍手を聴けばわかる)、それこそ一期一会のドラマがそこにあっただろうことを容易に想像させる。

チェリビダッケは禅に傾倒し、特に晩年の音楽は禅の影響をもろに受けていると思うが、(7世紀半ば以降形骸化してしまった)禅の本質には残念ながら触れ得ていない。
しかしながら、彼の心が辛うじてベートーヴェンの音楽に通じるのは、ベートーヴェンがやはりインド哲学に傾倒し、音楽による陰陽の統合を(無意識に)目論んでいた事実からだ。おそらくそのことをチェリビダッケはわかっていた。
だからこそ過去心、現在心、未来心を放下し、その瞬間だけを享受せんと、録音を一切拒否したのである。

僕は今、(その意味で)魂の抜けた、形ばかりのチェリビダッケのベートーヴェンを追想している。そのすべては上述のようにその場でなら明確に受け取ることができただろうに、録音ではその1割すらも受け取ることができない。
9割を想像力で補完し、僕はチェリビダッケの「第九」を聴く。繰り返し聴く。ただひたすら集中し、聴く。

・ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」
ヘレン・ドナート(ソプラノ)
ドリス・ゾッフェル(コントラルト)
ジークフリート・イェルザレム(テノール)
ペーター・リカ(バス)
ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団(ヨーゼフ・シュミットフーバー合唱指揮)
セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(1989.3.17Live)

第1楽章(アレグロ・マ・ノン・トロッポ,ウン・ポコ・マエストーソ)は理想的だ、実に素晴らしい。
しかし、第2楽章スケルツォ(モルト・ヴィヴァーチェ—プレスト)は失敗だ。主部があまりに遅々とし、音楽の流れを堰き止めてしまっている(トリオの比較的速いテンポとのアンバランスさ)。

ただし、第3楽章(アダージョ・モルト・エ・カンタービレ)の滔々たる音の流れは真に美しい。(清浄なる美、あるいは動の中の静)

善知識よ、此の門の坐禅は、元より心に着せず、亦た浄にも着せず、亦た是れ不動にもあらず。若し心に着すと言わば、人の性は本と浄し、妄念に由るが故に、真如を蓋覆うなり。但し元より想い無ければ、性は自ずから清浄なり。心を起こして浄に着せば、却って浄妄を生ず。妄は処所無し、着する者是妄なり。浄は形相無し、却って浄相を立てて、是れ功夫なりと言う。此の見を作す者は、自らの本性を障りて、却って浄に縛せらる。善知識よ、若し不動を修せんには、但だ一切の人を見る時、人の是非・善悪の過患を見ざれ、即ち是れ自性不動なり。善知識よ、迷人は身動ぜずと雖も、口を開けば便ち他人の是非・長短・好悪を説いて、道と違背す。若し心に着し浄に着せば、却って道を障るなり。
中川孝「六祖壇経」(たちばな出版)P107

「坐禅の教え」にはそうある。
おそらく音楽そのものは陰陽で成り立つものゆえ、相対を超えることはできまい。
ただ、チェリビダッケは絶対の世界に近づかんとして指揮をしたに違いない。

終楽章は(少なくとも僕の耳には)少々滑稽に映る。
(これは道ではない)

ベートーヴェンは、この身を超越し、気天に還って以降、数百年を経て、ついに解脱しただろう。

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