チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル ベートーヴェン 交響曲第4番(1996.3.19Live)ほか

このレコーディングの感じをまとめていえば、本当に雄大で、豊かな内容を持ち、ほとんどマーラーのようなベートーヴェンである。簡潔であり、うるさすぎず、決して乱暴にはならない。ほかの多くの指揮者は、オーケストラにやかましく演奏させることによって、いわゆる「巨大な、あるいは英雄的なベートーヴェン」という歪んだイメージだけを作り出そうとしている。
(マティアス・ティーメル/野坂悦子訳)「神の声」)
TOCE-9584ライナーノーツ

何と柔らかい音、何て誠実な音色。
堂々たる音響は、人間業を超え、あくまでベートーヴェンの音楽しか感じさせないものだ。

セルジュ・チェリビダッケは禅を追究していたのだと聞く。
もはや現代の禅宗は形だけのものに過ぎないが、彼が、その「真空」たる精神を音に結びつけよう命を懸けて音楽を創造したことが手に取るようにわかる。

最晩年の演奏に、聴衆の大きな期待が込められる。
交響曲第4番変ロ長調作品60。
第1楽章序奏アダージョから音はすこぶる熱を発し、生命体の様。主部アレグロ・ヴィヴァーチェで弾け、続く、第2楽章アダージョは、もはや神事ではないかと思わせる音の魔法。微動さえしないテンポが、ベートーヴェンの大いなる心の器を反映し、この楽章を聴くだけでチェリビダッケの凄さが認識できるだろう。
第3楽章スケルツォにおけるトリオの優美。そして、終楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポの、一音一音を噛みしめて前進する音楽の輝き!!どの瞬間を切り取っても音楽の素晴らしさか感じられない凄演(死の5ヶ月前の恐るべき記録!)を、終演後の聴衆の感嘆の拍手が後押しする。最後の和音の、脱力の終止に感動。

ベートーヴェン:
・交響曲第4番変ロ長調作品60(1996.3.19Live)
・交響曲第5番作品67(1992.5.28&31Live)
セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

一方、死の4年前の第5番ハ短調には、もう少し色気がある。溌剌とした俗性が、チェリビダッケの生命の息吹きが一層強い演奏のように僕には感じられる。
喜びに満ちる第1楽章アレグロ・コン・ブリオの剛毅さ、あるいは第2楽章アンダンテ・コン・モートの(特に終結における)寂寥感(チェリビダッケの弱音は実に素晴らしい)。
チェリビダッケの指揮は、何より音の立ち上がりが美しい。第3楽章スケルツォ冒頭然り(唸り声を上げるチェリビダッケ!)。そして、終楽章アレグロは、少々やかましさを感じさせるものの、音楽は概ね安定し、ベートーヴェンの緻密な創造物が見事に解放される(余計な反復を省くところがまた素敵)。ここでも聴衆の反応は感動的だ。

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