スコット・ロスのスカルラッティ ソナタ全集(1984-85録音)Kk1-Kk19を聴いて思ふ

数という基本原理は、音の形をとって鳴り響けば音楽になるし、目に見える姿をとってあらわれれば、世界になる。したがって、数の媒介するところ、世界は音楽の目に見える姿であり、世界という音楽を奏でているのは、全能の神ということになる。
~礒山雅「バロック音楽—豊かなる生のドラマ」(NHKブックス)P151

実に豊かなる音楽の世界よ。
奇しくも同じ年に生を得た3人の天才たち。
ヨハン・セバスティアン・バッハ、ジョージ・フレデリック・ヘンデル、そして、ドメニコ・スカルラッティ。中でも、後半生スペイン王室で職務を全うしたスカルラッティが、マリア・バルバラ王女のために残した555曲に及ぶソナタが空前絶後の素晴らしさ。300年の時を経てもなお燦然と輝く人類の財宝だろう。

そもそも音楽は、四拍子、四小節、四分音符、四度音程といった今日の用語からもわかるように、いろいろな形で数とかかわっている。とくに、音程の背後には一定の数比例が隠されており、よく協和する音程は、オクターヴが一対二、五度が二対三、三度が四対五といったように、ごく簡単な振動数あるいは弦の長さの比に、還元することができる。古代から中世にかけては、音楽の背後にあるこうした数的比例を発見することこそが神の真理に出会う道であり、曲を作ったり歌ったりすること以上に、価値のあることと考えられていた。なぜならば、数は永遠にして不変のものであり、音響が煙にように消え去っても、数は残って生き続けるからである。
~同上書P150-151

わずか数分という尺の中で、完璧に計算され尽くした数の音(数霊)。
恐るべし。

エイズのため38歳で夭折したスコット・ロスの挑戦的なチェンバロ。
彼の、スカルラッティのソナタ全曲を録音した、レコード史に燦然と輝く偉業。
時代の一歩も二歩も先を見通した彼の慧眼と、その演奏に思わず釘付けになる。

ドメニコ・スカルラッティ:ソナタ全集
・ソナタニ短調Kk1(L366/P57)
・ソナタト長調Kk2(L388/P58)
・ソナタイ短調Kk3(L378/P59)
・ソナタト短調Kk4(L390/P60)
・ソナタニ短調Kk5(L367/P61)
・ソナタヘ長調Kk6(L479/P62)
・ソナタイ短調Kk7(L379/P63)
・ソナタト短調Kk8(L488/P64)
・ソナタニ短調Kk9(L413/P65)
・ソナタニ短調Kk10(L370/P66)
・ソナタハ短調Kk11(L352/P67)
・ソナタト短調Kk12(L489/P68)
・ソナタト長調Kk13(L486/P69)
・ソナタト長調Kk14(L387/P70)
・ソナタホ短調Kk15(L374/P71)
・ソナタ変ロ長調Kk16(L397/P72)
・ソナタヘ長調Kk17(L384/P73)
・ソナタニ短調Kk18(L416/P74)
・ソナタヘ短調Kk19(L383/P75)
スコット・ロス(チェンバロ)(1984.6-85.9録音)

34枚組の1枚目。
淡々と弾きこなすように映るが、しかし、どのソナタにも生命が宿る。有名なニ短調Kk9アレグロの前のめりの生き生きさ。あるいは、思わず抱きしめたくなる(?)ト長調Kk13プレストの歓喜!!全編が驚くべき大宇宙。言葉がない。

まことに、この天のかなたの領域に位置を占めるもの、それは、真の意味においてあるところの存在—色なく、形なく、触れることもできず、ただ、魂のみちびき手である知性のみが観ることのできる、かの《実有》である。真実なる知識とはみな、この《実有》についての知識なのだ。されば、もともと神の精神は—そして、自己に本来適したものを摂取しようと心がけるかぎりのすべての魂においてもこのことは同じであるが―けがれなき智とけがれなき知識とによってはぐくまれるものであるから、いま久方ぶりに真実在を目にしてよろこびに満ち、天球の運動が一まわりして、もとのところまで運ばれるその間、もろもろの真なるものを観照し、それによってはぐくまれ、幸福を感じる。一めぐりする道すがら、魂が観得するものは、《正義》そのものであり、《節制》であり、《知識》である。この《知識》とは、生成流転するような性格をもつ知識ではなく、また、いまわれわれがふつうあると呼んでいる事物の中にあって、その事物があれこれと異なるにつれて異なった知識となるごとき知識でもない。まさにこれこそほんとうの意味であるものだという、そういう真実在の中にある知識なのである。
プラトン著/藤沢令夫訳「パイドロス」(岩波文庫)P61-62

決して表面的でない、真の意味での「智慧」。
選ばれた天才たちには、数たる世界を動かすだけの「智慧」が授けられ、その結果が、永遠不朽の作品群なのだろうと思う。

物有り混(渾)成し、天地に先んじて生ず。寂たり寞たり、独立して改らず、周行して殆またず。以て天下の母と為すべし。吾れ其の名を知らず、これに字して道と曰う。強いてこれが名を為して大と曰う。大なれば曰に逝く、逝けば曰に遠く、遠ければ曰に反る。
「老子道徳経上篇25」
金谷治「老子―無知無欲のすすめ」(講談社学術文庫)P90

しばらく虚心に1枚1枚耳を傾けてみよう。

 

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