不滅の金字塔。不朽の名演。ありとあらゆる賛辞がささげられた。バイロイトの戦後再開第1年目の前夜祭に演奏された折の録音。
(桧山浩介「名演奏家ディスコグラフィー フルトヴェングラー その6」)
~「レコード芸術」1984年12月号P271
桧山さんの手放しの賛辞が心地良い。
昨年末突如BISからリリースされた「スウェーデン放送所蔵音源によるバイロイトの第九」は、14年前に発売され、ファンをあっと驚かせ、その後も真正「バイロイトの第九」は(EMI盤かオルフェオ盤か)どちらなのか議論が絶えない「バイエルン放送によるオリジナル音源」を基にしたオルフェオ盤とまったく同じものだ(聴衆ノイズが同箇所で発生する)。演奏は間違いなくフルトヴェングラーのもので、熱気に溢れ、素晴らしいものなのだが、BIS盤はSACDにもかかわらず音圧、音のレベルがかなり低く、しかもラジオ放送中のノイズも断続的に入っていて、演奏の熱が非常に伝わりにくい。正直がっかり。ただし、歓迎のアナウンスからフルトヴェングラーの登場シーン、終演後の長い圧倒的な拍手、そして楽章間のパウゼなどを詰めたり修正することなく、すべてがオリジナル音源のままに収録されていて、その意味では実に臨場感のある点がこの盤の価値だろう(音楽だけを堪能するなら、あえてBIS盤を選択する必要はなく、オルフェオ盤だけで十分というのが僕の結論である)。
ちなみに、細部が明らかに異なるEMI盤の演奏は、今では当日のゲネプロの録音を中心にウォルター・レッグが編集を重ね、フルトヴェングラーの足音や聴衆の拍手も別のものを差し込んだといわれているが、真相は不明。
演奏に先立ってフルトヴェングラーがステージに登場する足音と万雷の拍手、コンサートマスターに冒頭の注意を与える巨匠の声などが入った通称「足音入り」は昭和36年9月新譜のXLP5006~10で初めてお目みえした。
~同上誌P271
よくよく考えてみると本番の演奏直前に指揮者がコンサートマスターに話しかけるというのもおかしな話で、その点もEMI盤がリアル・ライヴ音源なのかどうか疑問を呈するところというのが一般的見解。予備マスターのデジタルコピーを原盤としたいわゆる「オタケン盤」(TKC-309)は、この足音入りのものだが、冒頭指揮者の登場シーンはやっぱり不自然極まりない。ただ、新発見マスターを使用してのCDの音質は抜群のもので、少なくとも僕が所持するCDの最初期国内盤(CC35-3165)に比して音がより鮮明で、低音もしっかりして聴き応えがある。
しかしながら、最初期国内盤(CC35-3165)の音質も捨てたものでなく、これはこれで実に勢いのある良い音で鳴るのだから面白い(音が幾分こもり気味といえばそうかも)。
演奏そのものについてはもはや僕が何かを書く必要はないだろう。
文字通り「不滅の金字塔」である「バイロイトの第九」は、やっぱり長く親しんだEMI盤で聴きたいところ。たとえそれが編集された代物だろうと、第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ・ウン・ポコ・マエストーソに見る混沌から生じる大宇宙の真理の如くの音調、また、第2楽章の人間讃歌の熱気と業の解放、そして第3楽章の天国的安息の妙、さらには終楽章「歓喜の歌」の天人合一の大歓喜の表現はこれに優るものなし。
EMIからリリースされた(僕たちが長らく親しんできた)1951年「バイロイトの第九」は、今もって最高の演奏の一つだと断言できる(個人的にはいわゆるブラントクランク盤も賛否両論だが、音の広がりが感じられて好みではある)。
[…] それに、フレーメルさんの回想によると、有名な51年のバイロイトの《第九》のときもすでに難聴が悪化していて、実にナーヴァスになっていたそうだ。 […]