ふと、戦争を知らない子供たち・・・

時の流れがゆったり。
ある意味東京という街が異常なのかも。日々齷齪し、余裕なく一日一日が電光のように過ぎ去ってゆく。高原の夜中は寒いくらいの気候で、しかも明け方に東の方から差し込む日差しの何とも神々しくて、熱に包まれるような感覚よ。一日が本当に長い。ハッと気がつくとまだお昼前。午後は京都で貴咲かなさんにお会いして2時間超歓談。それでもまだまだ西日の強い夕刻・・・。

そういえば、終戦記念日を前に本日はフルムーン。
戦争を知らない子どもたちの僕らにとって、暑い夏の日の思い出というのは、あくまで幼年、少年時代の蝉の声。あれから40年近い月日が経過するが、僕の意識は一向に変わらず、田舎の風景や人々の情感も一切変わらないことを確認する。都会には存在しない、人と人との、そして自然と人との計算のないつながり。

ジローズ:戦争を知らない子供たち

北山修&杉田二郎コンビによる名作。

いわゆる団塊の世代よりさらに2回り近く違う僕にとっても、子どもながらに耳の奥底に残るこの旋律は、暗さと明るさを包含、真に美しく、感動的。

2 COMMENTS

雅之

こんばんは。

・・・・・・当初、北山修は、親しみやすく新しい反戦歌としてこの曲を作詞し、LP『戦争を知らない子供たち ~万国博ホールにおけるコンサート実況盤~』にも、彼の心からの反戦メッセージが収録されている。

だが、1980年頃より自ら下らない幼稚な歌詞だと発言したり、「自分たちが大人になっていく過程で大人たちに言われた『俺たちは戦争で苦労したんだ。いま、お前たちが好き勝手なことができるのは俺たちが苦労したおかげなんだ。』『いまの若い奴等は軟弱だ。俺たちは軍隊で鍛えられているからお前たちとは違うんだ』などという言葉に反抗したくて作ったんだと思う」という話を度々語るようになった。よってこの歌は、当初は北山が新しい反戦歌として制作したものの、他人からの厳しい意見や、自らの価値観の変化によって、現在は、北山にとって、古い世代に属する大人たちの価値観に対する皮肉を含んだ反抗の歌ということとなっている。

近年では、「自衛隊の足がイラクについたその日から、もう『戦争を知らない子供たち』ではなくなってきている」と自らの発表した楽曲とそのメッセージとは裏腹に、世界が争いに突き進んでいる様相を見て嘆きのコメントを寄せている。

余談だが、作曲した杉田二郎は、昔も今も「これから生まれてくる子供達がいつまでも『戦争を知らない(戦争のない平和な世界を生きる)子供たち』であってほしい」と解釈している。・・・・・・ウィキペディア 「戦争を知らない子供たち」の項より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%9F%E3%81%A1_(%E6%9B%B2)

人間とは、常に揺らぎの中にありますね。

昨日の思いと今日の感じ方とは全く違うということもあります。
山あり谷あり、陰と陽、「生きている」ことは素晴らしいですね。
http://classic.opus-3.net/blog/?p=6169#more-6169

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
実家でのんびり過ごしております。
「戦争を知らない子供たち」創作の背景についてはよく知りませんでしたが、なるほどとうなづける内容ですね。
杉田二郎の解釈も納得です。
ありがとうございます。

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