愉悦と寂寞

小手先のテクニックで問題を解決しようとするのはもはや無駄だとそろそろ気づく方が良い。根本的な原因から変えていかない限りどうにもならない。そして、それは何をどうすることかと言うと、自分を整えること以外にない。すべての事象の原因が自分の内にあるとするならとにかく自分自身をクリーニングすること。
例えば、ホ・オポノポノでは潜在意識をきれいにするのに4つの言葉を唱える。すなわち、ごめんなさい、許してください、ありがとう、愛しています。何でもない4つのセンテンスだが、ひとつひとつの言葉の持つエネルギーは相当に深い。
僕は思う。言葉の持つ波動―言霊によって心が本当に癒されるなら、音の持つエネルギー―すなわち音霊によっても同様の効果効能がひょっとしてあるだろうと。西洋古典音楽では特にモーツァルトのそれ、あるいは別の観点からベートーヴェンのそれ(モーツァルトの音楽は「ありがとう」「愛しています」「ごめんなさい」「許してください」すべての言葉に通ずる。音楽の移り変わる一瞬一瞬にこれらの言葉のいずれかが呼応するのである。あくまで勝手な私見だが)。

ジャズを聴いて、モーツァルトを聴いて、そしてまたジャズを聴いて・・・。ここのところそういう循環で音楽を聴いているが、ジャンルのボーダーを超えて伝わるのは「音楽って素晴らしい」というひとこと。たとえ音の缶詰だろうと人の心を動かすだけのエネルギーに満ちている。

モーツァルト:
・ヴァイオリン協奏曲第2番ニ長調K.211
・ヴァイオリン協奏曲第1番変ロ長調K.207
・ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219
・ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調K.218
・ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216
・協奏交響曲変ホ長調K.364
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン&指揮)
ユーリ・バシュメット(ヴィオラ)
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

ヴァイオリン協奏曲はいずれもザルツブルク時代、ティーンエイジャーの頃の作品。父親の庇護の下抑圧されていることすら全く気づかないのか、楽想を自由に羽ばたかせているような明朗な音楽が鳴り響くが、時折見せる「翳り」からは一抹の寂しさや不安が感じられる。若い頃から軽視してまともに聴いてこなかったこれらヴァイオリン協奏曲たちが今になって愛おしい。愉悦と寂寞感とをひとつにして感じることがすべてを受け容れることにもつながる。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。

音楽好きの友人で、10代後半〜20代前半時代にK.219のライヴを聴いて、音楽のあまりの美しさと寂しさに涙した友人を3人は知っています。私自身も堀米ゆず子の同曲実演で涙したクチです。そして、協奏交響曲変ホ長調K.364が屈指の傑作なのは、もう言うまでもありませんよね。

>若い頃から軽視してまともに聴いてこなかったこれらヴァイオリン協奏曲たち

人生いろいろってことです。これからの人生で、せいぜい愛してやってください。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。

>人生いろいろってことです。これからの人生で、せいぜい愛してやってください。

ほんといろいろです。
いろんな経験をして、音楽の聴き方、感じ方も変わりますね。
そういえば僕も18歳の時に大阪国際フェスティバルでムターの実演を聴きました。
プログラムはK.219とブラームスでした。真底感動しました。

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