グールドのバッハ イギリス組曲全集(1971-76録音)ほかを聴いて思ふ

風切り羽をきられているガンたちが、かまびすしい歓迎の鳴き声をあげたとき、一瞬フリスは、白雁がもとの古巣の囲い地に舞いおりるのかと思った。しかし、白雁は低く地上をかすめて飛んだだけで、やがてまた舞いあがり、なつかしい灯台のまわりを、大きならせん形の優雅な円を描いて一回まわると、さらに空高く舞いあがりはじめた。
それをじっと見まもっていたフリスは、いま自分の目にうつっているものは、もはや白雁の姿ではなく、永遠の別れをつげているラヤダーの魂であると思った。
ギャリコ作/古沢安二郎訳「白雁物語―スノー・グース」(偕成社文庫)P70

鳥は使いであり、化身なのだろうか。
たぶん、僕には彼らが勇気の象徴であるように思える。
全編インストゥルメンタルによる名盤。
言葉のない、キャメルの4作目は、新しく、また普遍的だ。

・Camel:The Snow Goose (1975)

Personnel
Andrew Latimer (guitar, flute, vocal)
Andy Ward (drums)
Pete Bardens (keyboards, vocal)
Doug Ferguson (bass, vocal)

英国的憂愁を秘める、透明感あるサウンドの美しさ。
“Flight Of The Snow Goose”の、ときめきのギター・サウンドが素晴らしい。また、”Epitaph”から醸される暗澹たる調子は、バーデンスのキーボードによる心の叫び。そして、”Fritha Alone”は何と悲しい歌であることか。

ところで、1070年代も中頃になると、グレン・グールドの演奏は一層透明感を獲得する。相変わらず彼らしいエキセントリックな表現が散見されるも、全体を通して実にぶつかりのない、自然体の演奏が繰り広げられるのである。
否、ひょっとすると僕たちがついに洗脳されてしまったのかもしれない。
あれほど特異な、ノン・レガートの音が、ましてや鼻歌交じりの音楽が、それがなければいまひとつ説得力に欠けるように思えてしまうのだから。

ジョナサン・コットという物書きを知っていますか。とてもおもしろい人物ですよ。友人ですがね。実際は一度も会ったことがないのです。われわれの関係というのは・・・ものすごく電話で喋るんです。
ティム・ペイジ編/野水瑞穂訳「グレン・グールド著作集2—パフォーマンスとメディア」(みすず書房)P322

グールドの有名なエピソードの一つだが、いかにもスタジオに籠り、人間ではなくピアノに対峙したピアニストの、それでも人間を愛する心が見出される事実に僕はとても感動を覚える。いかにも機械仕掛けのようでそうでない、魂宿るグールドのバッハのイギリス組曲を聴いて、涙がこぼれた。

J.S.バッハ:イギリス組曲全集
・第1番イ長調BWV806(1973.3.11&11.4-5録音)
・第4番ヘ長調BWV809(1974.12.14-15&1976.5.23-24録音)
・第5番ホ短調BWV810(1974.12.14-15&1976.5.23-24録音)
・第2番イ短調BWV807(1971.5.23録音)
・第3番ト短調BWV808(1974.6.21-22録音)
・第6番ニ短調BWV811(1975.10.10-11&1976.5.23-24録音)
グレン・グールド(ピアノ)

溌剌とした音調の内側から垣間見える、何とも表現し難い悲しみ。
こんなにも多面体の、喜怒哀楽の網羅された演奏は、グレン・グールドのバッハ録音多しと言えどなかなかない。愛すべき第2番イ短調BWV807の、前進的でありながら余裕の音楽は、心からバッハに感応するグールドの証明。本当に素晴らしい。

ちなみに、フランス組曲にも通じるが、アンナ・マグダレーナのために書かれた(であろう)イギリス組曲にも、永遠の妻への愛のようなものが刻印される。そう、バッハの一種ラブレターとも言えまいか?それを独り者のグールドが、愛情をもって再生するのだから何とも可笑しい。いや、だからこそ逆にグールドのフランス組曲やイギリス組曲には「普遍性」があるのかもしれない。

幾度聴いても発見のある不滅の名盤たち。

 

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