オーマンディのチャイコフスキー「マンフレッド交響曲」を聴いて思ふ

tchaikovsky_manfred_ormandyチャイコフスキーは目の前の風景や、あるいは自身の心象を音化するのが実に巧い。詩や小説の具象化ならより一層。音楽そのものが「言い得て妙」なのである。であるがゆえ、あまりに甘く切ない旋律や哀愁満ちる音楽に僕たちは惹きつけられる。しかし、一方では親しみやすいがため表層的で飽きやすいという印象を与えることも多々(決してそんなことはないのに)。
例えば、3つの著名なバレエ音楽。それらはとても魅力的な音楽満載で、100年以上も大衆を虜にしてきた。クラシック音楽のスタンダードとしても名高く、バレエなしの管弦楽曲として頻繁に採り上げられることがそのことを証明する。

しかしながら、名作であるにもかかわらず不遇な作品もある。「マンフレッド交響曲」など演奏機会は極めて少ないのでは?(終楽章コーダの最後のところでしか使用されないパイプ・オルガンがネックだとも考えられるが)

彼の作品には初演時に不評だったものが少なくない。ヴァイオリン協奏曲然り、ピアノ協奏曲第1番然り。現代では泣く子も黙る傑作だというのに。
おそらく、以降の再現芸術家たちの努力が実ったのだろう。当然これらの音楽たちはいずれも徐々に認められ、絶賛を浴び、チャイコフスキーの名を一層輝かしいものにしてきた。「マンフレッド交響曲」だって、もっと舞台にかけられるなら絶対に人気作になる。少なくともブルックナーやマーラーという重厚長大な音楽を好む現代人なら正味1時間ほどの交響曲は何でもないはず。ましてや、これほど美しく官能的な音楽ならば・・・。

「マンフレッド」のテーマは深遠だ。大変な努力をして得たものを、あるいは無意識に刷り込まれてしまった負の記憶を簡単に手放すことができないという苦悩。バラキレフの依頼があってもなかなか筆を執ることができなかった作曲家を動かしたのは、バイロン卿の原作に触れたこと。あの頃の、自身の内側にも存在した「苦悩」と同質のものをチャイコフスキーはここに見たということだろうか・・・。

チャイコフスキー:マンフレッド交響曲作品58
ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(1976.10.27録音)

実に見通しの良い、それでいて「標題性」を失わない見事な音楽が繰り広げられる。当時のステレオ録音の常識なのかどうなのか、楽器が左右に振り分けられ、聴きようによっては不自然なバランスが散見されるが(右チャンネルからトランペットや打楽器が聴こえ、左チャンネルからテューバが聴こえ、挙句は2台のハープが左右から聴こえるなど)、そもそも「レコード芸術」という観点からするとそれもあり。何よりオーマンディの有機的な表現にそんなことはとるに足らない些細なことのように思えてくるのだ。

ところで、オーマンディは「指揮者は独裁者だ」と公言した。しかも、自分は民主的な独裁者だと。何十年も常任としてその地位にいられるのは「独裁でありながら民主的」というその矛盾的絶妙なバランスに秘密があるのだと思う。いわゆるリーダーシップの原点がここにあろう。ただし、前提は「能力」だ。ちなみに、指揮者として絶大な才能を持っていたオーマンディであればこその仕事だったが、彼にも欠点はあったらしい(非常に曖昧な指揮で、特にダウンビートに問題があり、楽員は読み取るのに苦労したそう。ただし、そのお蔭で団員の自主性が磨かれ、あの華麗なフィラデルフィア・サウンドができ上がっているのだから、短所も転ずれば一役買うということだ)。

さて、「マンフレッド交響曲」。苦悩し、彷徨するマンフレッドを描く第1楽章はこの作品の白眉。そして、「地下のアリアーナの宮殿」という名のフィナーレは真に力強い。特に、コーダにおける神々しいパイプ・オルガンの粋!!

オルガンの音色は魂にまで響く。何というカタルシス!何という解放!!「マンフレッド」においてはなくてはならぬ楽器だったということだ。

 


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2 COMMENTS

畑山千恵子

私は、ユーリ・テミルカーノフ、サンクト・ペテルブルク・フィルで聴きました。本場ロシアのオーケストラですから、人間チャイコフスキーの苦悩をむき出しにしていました。
1990年代、チャイコフスキーは自殺を装って殺されたと言う説が広まっていました。今、これは否定されたとはいえ、もしかしたらこれが正しいということも出てきますので、何ともいえません。そうした面から聴いてみると、そうした解釈もできますね。

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岡本 浩和

>畑山千恵子様
テルミカーノフも素晴らしいでしょうね。実演で触れてみたいところです。
チャイコフスキーの死の真相は謎ですよね。確かに自殺を装った他殺説というのは考えられなくもはないと僕は思います。

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